倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

2018/04/16、高校生活

今日も通院。特に異常なし。

 

最近少し遅めの入学式に参加した。明日から単位制・通信制で週四登校。

ほかのコースの生徒と学年が上の人の転入生、その保護者さんでなかなかの人口密度だったがどうにか乗り切った。

教室となると不登校直前の気分が喉に酸っぱく上がってくるけど、学費をしっかり自分で計算したのは本当にいい薬で絶対に登校しなければならないという意志も固まる。

 

病院の先生には、周りの目が気になって辛くなることは薬があるからほぼ100%ないと言われたが中学時代の刷り込みがあるので五分五分だと思う。過信はしないで学業に再び専念したいと考える。

 

あの中学の空気はなんなんだろう。

ひとつのミスで周り全てから嘲笑され落下していくような感覚、目に見えないハンデは全部自作自演の空気、全て病気の幻覚だと言われればなんとも言えないが、もし本当に全部幻覚だったら卒業式2部の仲間はもっと少ないと思う。

 

そんな事を卒業直後からぼんやり考えていたら月初めの頃に中学時代の友達にカラオケに誘われた。中1の1番楽しかったころの友人達だった。

最初こそ不登校になって逃げた自分が恥ずかしくて緊張もしたけど、彼女たちは中一の頃と変わらないつい先日会ったばかりのように接してくれた。本当にありがたいことだ。

 

どうにか社会復帰に1歩を踏み出してみたが、高校だけはしっかり通う決意を固めた4月前半だった。

2018/03/28

病院は月曜日に行ってきた。卒業式の報告を済ませるとよく頑張ったね、と初めて言われて泣きそうになった。卒業式に出るなんて当たり前のこと誰も褒めちゃくれなかったから。でもしんどかった。

 

薬がまたひとつ増えた。

 

春期講習なんかに通って思ったが、自分は自主的に質問しに行くことを自分の都合でする事に謎の罪悪感を抱えていることに気がついた。どんなに重要な話でも人と話している先生には聞きに行けない。その根底には「自分なんかが…」の意識が文字通り死ぬ程根付いているという問題がある。改善出来る気はしない。

沢山の周りの大人やネットの向こうの大人を見る度、苦しみながら生きていかなくちゃ、大人になったらどんなに辛くても誰も褒めちゃくれないんだと分かっているのに、未だに褒められたいし撫でられたいし優しくされたい。自分にそんな価値あると思えないのに。

 

もう聞き飽きて唱え続けた、私は恵まれている癖に甘えてツラいごっこをし続けているという事実に死にたくなってまたその甘えにも罪悪感が湧き上がる。

 

矛盾で首が締まっていく。

立つ鳥跡を濁し、

卒業すればおわりって、簡単に割り切れるもんじゃなかった。

 

多分回復期だってのもあるだろうけど、最近は節目節目に根拠の無い希望を抱いては勝手に絶望してばかりな気がする。

 

卒業式に頑張って出れば卒業しちゃえば自由で何も悪くないとはいかなかった。

 

今私は塾の春期講習とかいうやつに通っている。個別指導で、不登校だった事を伝えて高校に向けてのサポートをしてもらっている。

自習も自分で時間教科きっちり決めて行き、宿題もどうにかやり遂げて通っている。

 

でもやっぱり、街中や家の付近でまだ学校の終わっていない後輩やら母校のジャージ姿の生徒をみると身体が勝手にビクッと反応し、罪悪感に苛まれ、酷いと泣き出す。

 

不登校だった事は別に消える事じゃないし、やめたことでもない。

ただ単に高校入学までの空白期間だ。高校にはきちんと通えると決まった訳じゃない。中学の勉強も終わった訳じゃない。

 

じゃあ自分は今、なんだ?

 

怠慢に甘えた不登校のままだ。毎朝ちゃんと同じ時間には起きられないし、深夜に起き出して声を押し殺して泣きながら手首を切る。気圧にも気温にも振り回されて勝手に沈んで勝手に上がる。

 

立つ鳥跡を濁さずとはいうが、私が中学から立った時、ぐしゃぐしゃに濁していったんだと思う。今私は、その償いで泣かされているのかもしれない。

受け入れる

悲しみと苦しみに襲われる。

 

トリガーはちょっとした歌の歌詞やちょっとした誰かの優しい言葉であって、そこから前泣いた時以来ずっと溜めてきた沢山の悲しかったとか苦しかったとか辛かったとかが吹き出して泣く。

 

 

私は感情が全部一気に吐き出せない。

幼稚園児だって知っている「ごめんね」「いいよ」が自分自身にできないから。自分の心が

「ぼくはあいつにごめんって思ったし、ごめんって生きてきたからもう許されてもいいんじゃないか、許してくれ」と怒って

「いいよって言ったけど許せないよ、一言で許せるもんか、本当はあんなに悲しかったのに辛かったのに」と悔しがる。

 

笑って我慢したり笑い話にしてコミカルな愚痴にして全部解決した体にして、あとで見ないふりをしたなにかが集まると塊の化け物になって袋小路で殴って殴って私を粉々にするまでやめない。

 

今の時代声も表情も気持ちも全部ネットを経由してある程度は共有出来る。交信が出来る。でも人の体温も直接的な優しさも即物的な愛も、電波に載せることは出来ない。

 

いつかある人は、私が深く暗い袋小路に怯えていた時に、私の側にいれたのなら涙を拭ってあげたいと言ってくれた。でも私とある人の距離は信じられないほど離れていて、成人してやっと会えるだろうかみたいな距離だ。

Twitterのお陰で想いを交わせた。楽しいし嬉しいし救われた。でも実際私が欲しているのはたぶん優しい人の体温と自分が生きる事を隣で常に誰かが許してくれることだ。

 

お母さんにもお父さんにもかわいい妹にも恵まれて、友人にも恵まれて、それでも私は望むことをやめない。なんと馬鹿らしい恵まれた者の発想だ。気持ち悪い。

いつか昔に自分でどっかを歪めてしまった。

誰かに愛されたい。許されたい。血縁の母であるとか父であるとか気にかけるべき友人であるとかそういう義務感から生まれたものでは無い優しさが欲しい。そんなん簡単に言語化できないからとりあえず体を切り刻む。暖かい血が伝う時に撫でられたような快感を感じる。

 

汚い。我ながら汚くて仕方が無い。他人から見たら反吐の方がマシかもしれない。

それでも私は定期的に遅れてやってきた悲しみに殴られようが生きていかなくちゃいけない。死にたい死にたいと数え切れないほど自殺未遂した。でもどうにかこうにか中学を終わらせた、高校生をやってちゃんと仕事をやって生きて、普通に、まじめに、生きていかなくちゃいけない。

 

殴られたって立ち上がらなくちゃ、全てが無駄になるんだから。そっちの方が多分きっとしんどいから。今がしんどくても大部分が気にせず過ごせるなら、私はこの化け物に殴られる事を両手を広げて受け入れる。

2018/03/15、不登校の卒業式

忘れないうちに書いておきたいことがある。

不登校だった私は、今日中学を卒業した。

 

卒業式(1)

練習のような何かを重ねて、前の記事で言っていた「ギャラリーから眺めるだけの参加」は結果を言えば出来た。

 

最初対応してくれた先生は、私が“普通”にみんなに混じって参加するもんだと思ってみんなの列に混ぜようと歩き出したが、事情を知っていた他の先生が対応してくれて実現した参加方法だった。

 

想定外に2階ギャラリーも保護者席で埋め尽くされていて、私は保護者に隠れるように座って、2時間半眺めるだけだった。

校歌と国歌は歌えた。保護者の方がすぐ後ろと右と前で録画していた「旅立ちの日に」は私の声が入る事を気にして歌わなかった。

 

目の前が歪み、季節外れのこもった暑さで頭が痛くなる。動悸が激しくなって、酸素が思うように吸えなくて涙ぐんだ。

でもどうにか、やり過ごした。

 

卒業生がはけた隙を狙ってそっと私も先生に先導され帰った。

 

学年主任は卒業式に不満があったらしく、体育館から卒業生がいなくなり在校生と保護者だけになった瞬間に、謝り怒った。在校生に「次の卒業式は君たちがちゃんとやるしかない」と投げかけていた。

最後の日に、気になるほどではない(私は全くそんなこと感じなかった)ことを気にして、いない所でぶち壊すようなこと言うなんて、子供とかわんねぇなと思った。

一回目の卒業式は心中ぐっちゃぐちゃで、これ出る意味あったのかな、と思う。先生の負担とか考えると尚更。

 

卒業式(2)

学校には卒業式に2部という仕組みがある。

みんながいなくなったあと、別室で出られなかった子だけ集めて小さい卒業証書授与式をやる。

もっと簡素なもんだと思っていたが、1番広い会議室に紅白幕を引いてきっちり華やかな花も飾ってあった。卒業生が付けていた造花のブローチも、あり合わせの雰囲気じゃなく普通に当然のようにつけてもらえた。ちょっと嬉しかった。

ユリの香りの中で2部が始まる。

 

CDにあわせて5,6人で校歌を歌った。

淡々と証書を受け取る私たち、感動して誰かひとりでも泣かせたい先生陣。

祝辞も明らかに狙った言い回し、保護者の方からなにか一言!(全員断った)卒業生から一言!(全員断った)

 

極めつけに

「まわれ右!礼!

『ありがとうございました』

ってやって。さん、はい。」

だ。

 

小学校でもここまでお涙頂戴しなかったよ。

なんかしんどかったなぁ。もやもやしたまま、中学の全てが終わった。

 

2部の時間に行った時は、まだ卒業生はちらほら残っていて、通学路を歩くのが怖くて車で来た私を全員が指さして笑っているように感じてちょっと泣いた。それだけ。寂しくも悲しくもなかった。

 

家に帰ってやっと、あー自由だと叫んだ。もう私は「不登校生」じゃない。

「がんばって中学最後の卒業式に出ようとする真面目で頑張り屋な不登校生」になるのも、おわり。

 

そっちの感動の方が強かった。制服を脱ぎ捨てて妹の為にちょっと整えてクローゼットの奥にしまい込んだ。

どっと疲れて、今動かない身体で布団でブログを書いている。

 

まだこれは備忘録だ。落ち着いたら総括を追記したい。