倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

これまでのあらすじ(小学生編)

私っていつからこんなんだっけ?と思い書いては消してをしているのでこの日のうちに書き殴ってしまおう。ものすごい長文になる。

 


別に貧乏でも不幸でもない家に生まれてきた私は、それを有難がることもなく結構なやんちゃ娘だったんじゃないかと考えている。記憶は薄ぼんやりとしているが、第1子に初孫になんだなんだと大事に溺愛されてきたことだろう。

四つ下の妹が生まれてからは私がこの家の「子供に対する家庭の父親」の役割を受け持っていた。ここから記憶が鮮明になる。

 

父はもともと多忙で同じ屋根の下で生きている筈なのに幼少期は全く顔を合わせた覚えが無い。交換日記までしていた。

それは無論妹もそうであり、比較的休みの増えた今でも彼女の人生のうちで父と遊んだ記憶は少ないと思う。

 

やんちゃさは完全に妹に引き継がれ、私は母親代わりか父親代わりかそれとも知らない「長女」の役割を果たさねばと必死になった…気がする。
歯磨きを教えたのも幼少期の妹を風呂に入れていたのもありあまった元気の理不尽な暴力(笑)や遊んで攻撃を受けたのも自分だ。肩車もおんぶもだっこもした。ちょっとした機嫌の変化で殴られるのはもっぱら自分だった。

 

多忙で子供好きではない父は妹のちょっかいにすぐにキレるというか、怒る癖があるので文句を言わず身体で受け止める(物理)私はそうなって当たり前だ。

別にそれは偉いことでも何でもなく、きょうだいがいればそうなって普通だろう。少しそんな自己犠牲をして妹の面倒を見る自分にも酔っていた。

 

でも、この頃からかもしれない。
小学二年生の頃、私は虚言癖が強くなった。度々クラスメートに嘘を吐いた。

「実は足に障害があって無理して歩いている」「喘息である」「ハウスダストに弱い」「アレルギーがある」「障害がある」「入院した事がある」「実はコンタクトを入れないと何も見えない」

など、何のつもりの嘘かよく分からないものも混ざりつつ一貫しているのは「本当は何かしらに弱く、助けてもらいたい大切にされたい自分」の演出であるという事だ。

嘘をついていつも遊ぶ場所ではなく、不慣れな駅近くに自転車で行き、帰り道が分からなくなり迷って門限を破って頬を張られたこともある。何故か家にある布という布にハサミを入れてダメにした。その数は嘘で誤魔化しまた頬を張られた。外に出され家に入れてもらえなかった。よくある話だ。

何かしらの鬱屈したものがあったのかな、と思いつつ嘘の方向が切り替わったのは父の一言からだ。

 

私は本が好きだったので様々な本を読みなりたい小学生の像を探すことに必死になった。意図せずして漏れる嘘、頬を張られても直らず怒られっぱなしの自分。どうしたらいいか分からなくなって父に聞いた。

 

「お父さん、子供は親の言うことだけに必ず従って生きていかないといけないの?」

「え?そうだよ」

「いい子にしていなくちゃいけないの?」

親の言うことは聞くんだよ、じゃないと捨てられちゃうよ?

もう、誰も覚えていない会話だろうが最近は頭から離れない。これも自分を可哀想に見せるための演出の虚言だと言われたら否定するすべが無いが、既に捨てたと思われる黄色のキャンバスノートには赤鉛筆で殴り書きがしてあった筈だ。

『おやのいうことをきく』
『いいこになる』

それから私は、いいこになる為に、捨てられない為に、失望されない為に、嘘をつくようになった。

 

今でも『いいこ』の言葉には締め付けられている。
こんな現状になって泣きながらいいこにならなきゃいいこにならなきゃと独語していた時、母はいい子ってなんだよ、そうじゃなくても生きてて欲しいよ、と抱き締めてくれたことが一度ある。優しい母に恵まれたものだ。

 

でも未だに、いい子じゃない自分なんていらない捨てられてしまう。という思いが誰に対しても抜けずにいる。いいこのハードルは自分で勝手にガンガン上げるから飛び越えられない自分に劣等感で泣き崩れる。

死にたくなる。
普段の無意識下ではそんな様に振る舞わず表にその葛藤は出ないので理解は得られないに決まっている。


世間で話題になる「いい子症候群」とは、多分私は違う。抑圧的な母親だった訳では無い。父親も私を縛るつもりであの言葉を言った訳では無い。優等生に振る舞うのは、先生、クラスメートといった外の人だけ。両親には愛され、祖父母も優しい人で、全ての責任は過去の自分にあるとしか言えなかった。全部自分で仕組んだ縄であり首を絞める状態を当たり前とした自分のせいだ。


結局小学生時代は学校の中ならまあまあ優秀で、体育以外はなんでもそこそこ出来てしまっていた。
学年一位に100点当たり前、後の私立受験組と塾も通信教育もナシで戦い、色んな役には進んで立候補、応援団に指揮にピアノ伴奏に司会にリーダーに班長に出来る範囲はなんでもこなし、いいこぶったお陰か先生からも一目置かれ「とりあえずお前」が常套句となり学業優良卒業生の賞状を抱えて卒業したくらいには。

しかし。

井戸の蛙大海を知らずとはよく言ったもので、中一ギャップで死んだ。そこで何かがボッキリ折れた。


次の記事に続く。