倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

煙に消ゆ

 酷いことをしたもんだなぁと度々思う。

あの日憧れて吸った、今も辞められない苦い煙が、換気扇に消えていくのを見てこうやって消えていきたいもんだと羨ましくなる。私の罪は取り返しがつかないし、手を離されたのだと思い込んでは違うと自戒する。振りほどいたのだ。私はあの手を。いとしいあの手を。

哀しい程に一人だ。誰かとの会話を繰り返す度、人の時間を奪う罪悪に浸って悲嘆に昏れる。どこまでも気持ちわりぃなと思う。うつくしく死ぬ妄想がやめられず、寝ても醒めても生きるのは暗い。愛されてみたい。一生分の愛を経て尚止まらない。欲望を誰かどうにか殺してはくれないか。

人生を映画に例えるのであれば、私は誰のエンドロールにもいたくないし載ることもない。だけど私のには、最後に載せたいひとが1人いる。この想いは、願いは、信仰だ。光である貴方への祈りだ。有象無象の中のひとり、雑踏からのささやかな祈り。だからこそ重いのだ。わかっている。ただ今の距離はすごく心地好い。たった1人どこにも向かわず受け取られる期待も持つことなく、ただ憧憬を抱いているままが私には丁度いい。それだけでいい。もうこれ以上、あのひとの時間は求めない。あの時計は壊されて然るべき物だ。うつくしいおわりだ。それでいい。

 

この死体が醜いものであるのは分かっているから、うつくしい死化粧の為だけに尽くしてくれる腕のいい人を探したいなぁと思う。なんとなく。

私がもう少し素敵な人間だったら良かったのに、なんて思うだけ無駄だ。甘えと怠惰の醜悪な人間であることに変わりない。手を伸ばすことを、袖をそっと引くことを諦めて、大事なひとの幸せの為に手を振った私の、小さな因果応報。これ以上、誰かと何かを楽しもうという気持ちは捨てた方がいいのかもしれない。その欲求が誰かの創作の妨げになるようなことがあれば死んでも死にきれない。

作り続けていかなくては、と無闇に考える。作り出せない私に価値はない。だが私の創作で人の気分を害していることに、もう少し敏感にならなくてはならないと思う。もっと考えろ。そして誰かに認めてもらえるものを人生でひとつは作りたい。

私は血の通った人間である。赤い血が出るし、生きていくにはカネが要る。殴られたら傷がつくし、暴言を吐かれたら痛い。それを許容するにはまだ時間がいる。だから今に見てろ、って頑張り続けるしかないのだ。私が本当に私のなりたい姿になるには、捨てなければならないものと改善しなければならないものが多すぎる。だからまだ、星を呪うことも運命を恨むことも出来ない。禁じられている。

元カノにプレゼントしてしまったので金を貰って抱き締められた日の話


 久々に波乱の日だ。昨日から瀉血とアムカとブロンキメて寝ていないし、ぼんやりしたまま生きてたけど凄いことになったなぁと思っている。

ごたごたした文房具やさん。シンプルで洗練された化粧品の陳列。本屋さん。絶対彼女と一緒に行きたいって思っていた場所を訪れる度、ちまちまとしたものが増えて増えて、結局誕生日プレゼントにまとめて送り付けた。郵便事故よ起これと念じていた。だってあんまりだ。私のことを思い出させるわけであり、自己満足の塊である。そして今朝、気がついたらLINEが来ていた。永らく嘲笑で終わっていたトークルームには、彼女からの感謝が綴られていた。

受け取り拒絶じゃないだけ良かったなって思った。向こうはだいぶ困惑していたけど、なんだかんだ嬉しかったって受け取って貰えて私は幸せだった。ありがとう、それだけで良かった。貴方はきっとその口紅が似合う素敵なひとになったんだ。貴方は私の光だ、永遠に。

 

しかし。私は誕生日プレゼントを送り付けたことを後悔した時点で、自分を殺すことに決めていた。自殺ではない。いい加減、なにもかも手放して落ちるとこまでいこうと決めていた。
同日、某繁華街。私はピチピチのちゃちな制服を着て写真を撮ってもらった。
何時間も待機して初めて選んでくれた初老男性にお札を胸にねじ込まれて違う名前で呼ばれながら抱き締められた時、私はこっそり涙を零した。店長は泣くほど酷いことされたのって焦っていた。なんでもないです、眠かったんです。だけど私は2畳弱の狭い部屋で、人間の温かさでだいぶ満たされた。罰のはずだった。でもそれでよかった。

今から帰路に着く。駅のホームに立つと、なんだかすごく惨めで。これからどうやって生きていくかは分からない。いつかはバレて家を追い出されるんだろうな。だけど、私はこうやって短い人生とたった1人に捧げた青い春を切り売りしてお金を稼いで、学びたいことを学ぼうと思った。学費と、独り立ちの費用。私はひとりで生きて行きたい。思い出と共に死にゆく為に、作り続けた先の萩の原で倒れ伏す為に、ひとりの時間が欲しい。だから普段のアルバイトも、これも、頑張る。金が要る。頑張るだけだ。

望まれて尚

早く死んでくれないかなって思われているのはわかってた。だけど実際に文が目に入ると鼓動が早くなった。最低だなって思った。

 

もう何ヶ月経ったのか数えるのをやめて随分経つ。私は未だこのやり場のない憤りを抱えたまま生きているわけで、心臓を動かしているわけで、自分に甘いみたいだ。年明け以降、いやカフェインOD以降自殺未遂を一度もしていない。地獄のように苦しいってわかってしまったから。許されざる事だと思う。私を責める声が聞こえる。

 

自分の機嫌は自分で取りたい。感情をコントロール出来なければ、また誰かに迷惑をかける。疲れさせる。最近徹底している、あ、無理だ誰か助けてくれ、私の話に肯定を返してくれ、と思った瞬間に他の人間と距離を置くこと。これは最善策だ。まだ誰にも頼らない。大丈夫、やっていける。

 

滑稽に生きていくには、自分を殺しきらないといけない。感情を殺せない、苦しむのが怖い、自殺に踏み切れない私に、罰を与えなければいけない。そう思ったら物理的な自傷癖がぶり返した。制服で隠れる二の腕、太腿、足首をカミソリでスパスパ切っている。この前はなかなか深めに切ってしまって、縫合は嫌だからテープでずっと肉を寄せてくっつけようとしていた。

ピアッシング用に買ったニードルを肘裏に刺して瀉血をする。ブロンの空き瓶一瓶ぶん抜いてみたら頭がグラッとするのがODに似ていて楽しい。ブロンODはほぼ日課だ。金ばかり浪費する。

 

苦しんで(大した苦しみではないが、便宜上苦しむと表現する)苦しんで藻掻いて、誰にも頼らずにこの想いを完結させようとしている間、暴言言いっ放しの彼女は楽しくイチャイチャしながら生きてんだろなと醜くも思う。そんなもんだ。そして彼女は私といる時より遥かにうつくしいものを沢山沢山作っている。彼女は私の不可侵な光だ。どんなときも、今も。私と離れたことは彼女の人生にとって賢明で正しい尊重されるべき判断だ。世界ってそんなもん。なにもかも仕方ない。全て私が望んだことで、全ては順当。だから私は早く死なないといけない。滑稽な一人芝居を誰かに見せつけて縋る前に死なないといけない。4月からの新生活への準備が整っていく中、あれ、これでいいのかな。私生きていくつもりでいていいのかな。って思う。出ていくお金を見ながら後戻り出来ないなって目の前が真っ暗になる。生きていちゃいけないのになぁ。

去年の今頃はプロポーズに舞い上がっていた。若かったなぁと思う。一生離さないなんて戯言、熱に浮かされれば信じてしまうものだな。吐き気がする。きみじゃなきゃダメなんて大嘘だ。ゆるせねぇなって思いたくなるのを必死で抑えている。

 

四肢を包帯でぐるぐる巻きにして、早朝に壁に向かって泣いている私は滑稽だろう。なんで醜くも生きているんだろうな。空っぽのまま生きていってもいいんだろうか。何も生み出せないくせに。

 

もう大丈夫

自分で言ったことすら覚えていない。

 

明確に身体にガタが来ている。幻覚が日常生活に襲ってくる。これは私のものだ、と思って手に取ったものが全く違うものだったり、家族が他人に見えたり、とにかく色んなものが現実とは違うかたちに見える。咄嗟の判断ができなくなって細かいことを忘れて、昨日の夜は自分の歯ブラシがどれか分からなくなってしまった。メイクの順番が分からない、服が選べない、薬の袋の朝・昼・夜が理解できない、食事が選べない、途中で無味になる。ふつふつとした怒りが止められなくなって衝動的に妹に暴力をやり返したり、親の話を親身に聞く姿勢も持てない。仕事の小さなミスで1週間は落ち込む。学校に行くことを考えると頭が割れるように痛くて吐き気がする。義務感で生きている。死にたいと思う。

 

私はもう一生分の愛を得た。それはきっと揺るぎなくて、全てが嫌悪にひっくり返ったであろう今でも、私の過去は取り消された訳ではなく。だからもう大丈夫なのだ。そうで在らねばならない。

自分のやることなすこと全てをあの人がどう思うかで測る必要はもう無くて、私が壊したものに変な執着を持つのはいけないことだ。だからなんの感情も抱いてはいけない。今はただ、好きだった人の幸せを喜び、祝福し、自分の人生に見切りをつけなければならない。何を言われていようが、どんなに傷ついたと誤認しようが、私に憤る権利はない。仕方の無いことだ。

時折前に進む為に何かを得ようと探してみたりするが、許されない事だ。全てはふと死ぬチャンスが巡って来るその直前まで自然に生きていくためのパフォーマンスだ。緩やかな自殺へ、変わらない結末へ、私は歩んでいるだけである。私という人間は死すべきであるという結論は変わらない。私は大人になるべきなのだ。なれないのなら、思い出と、貰った一生分の愛を抱いて死んでいくしかない。そうしなければならない。

心に空いた虚が身体中を侵食して苦しくなって錠剤を流し込んでも汚い煙を吸い込んでも血を流しても気がすまなくなった時、過去の愛に縋るのはもう辞めないといけない。もう大丈夫だから。もう私は何も考える必要は無い。命を賭け成功した結果すら上手く実行できなかった人間に、一体どれだけの生きる価値があるというのか。私に生きる権利はない。

もう大丈夫だ。私は安心している。これが順当な私の結末。ずっとそう信じてきたことが現実になったに過ぎない。飾るべき有終の美が終わったのなら、私は早く死なねばならない。私は大丈夫。全ては美しく完結している。足掻くことはもうしなくていい。終わっていく私の全てを笑顔で受け入れるべきだ。私は大丈夫。もう全てを抱いて死んでゆける。仕方ない。結論は変わらない。その日まで、平気であると、もう大丈夫だから安心してくれと周りを欺く最後の演技をしなければならない。私の幕引きを、誰にもみとどけて貰えなくとも、その手で行わなければならない。

それでも命は続く

また死なずに年を越してしまった、なんて後悔する。

 

グチャグチャの想いは消えることなく呪いのままで、腫れ物扱いでしかない自分に落胆して、それでも肺は酸素を求めていることに厭き厭きする。

 

この苦しみは1000年続くと思う。ただ生きていることが虚しくて、何を生産しても働いても心に虚が空いたままで。賭けに失敗していたかったと思う。条件付きで相互ブロックの予定だけ立てて、バイバイを経たにもかかわらず未だ捨てれず諦めの悪い呪いを抱えている。薬が抜けてくると思い出を掘り返して枯れるほど泣くのを未だに続けていて、涙が尽きないことにも辟易する。プロポーズを信じていたかった。破り捨てて可燃ごみの日に出されたであろう様々な約束を反芻しては泣いている。苦しいとか悲しいとか怒りとか、そういうものを感じるのを許されたい。沸き上がる感情に許可を与えて欲しい。押さえ付けても踏みつけても引きちぎっても湧いてくる。


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見届けたのだから、もう死んだ方がいいのだろうとは思う。死ぬのが苦しくて辛いから逃げてるだけで、毎日毎時間毎秒死に時を逃して先送りしてるだけで、もう死ななくてはならない。気づいたら今月で18歳で、17の冬で死ぬ約束も破った。もう生きている意味は無いと思う。自分を殺さねばならないことから目を背けている。未練を捨てられないままでいる自分が愚かで虚しい。

ただ彼女の幸せを喜べず呪う自分が憎い。

1人で抱えて生きていくのだ。なにもかも。幸せを望む心を殺したら何処へ行こう。行く所もない。今自傷も薬も酒も煙草も愛想を尽かされて遂に家を追い出されたとして、もう逃げる場所はないし縋り付く相手もない。溺れたままで、藁もなくて、萩の原で天を仰ぐ。身体の軋む痛みを受け入れて顔面をグチャグチャにして眠る日々を過ごすうちに世界を呪う。いつか私を対等に人間として愛してくれる人が現れないかと淡い期待を抱くことを殺せたらどんなにいいかと思う。だけどもう誰も疲れ果てさせたくは無い。何もかも飲み込んでは死にたい。今目を瞑って、目を覚まさなければいいなぁ。それでもきっと今日は朝になったら起き上がって、アルバイトに行く。分かってる。なんで命が続いているのかは分からないままで。