倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

醜いのだと

自分の為に怒ることを許されたかったのだと思う。

 

自分勝手だと、それは自己中心的だと、己を戒め続けて、それでも足りなくていつも感情のコントロールに失敗して、結局最悪の結果しか招かない。

 

あれから1ヶ月経った。未だに涙が出る。それが気持ち悪くて死ねなかったことを後悔している。

私は幸せ者だ。いちばん辛いのは君だ。何度も考えて言い聞かせて戒めて罰を与えても湧き上がる嫌悪感が気持ち悪い。

聖人君子にでもなりたいのだろうか。分からない。ずっと願ってきた君の幸せが受容できない私が憎い。傷つきたくないから傷ついた振りをしてきた。諦めろ。諦めてはいるはずなのだ。命を懸けて勝っただろう。あれは勝利だ。あの地獄すら生ぬるい苦しみを経て尚未だ死にたい。恨み節が漏れる。早く安らかに死ねたらと思う。

 

少し理解したのは、私は自らの為に怒ることをどうしても許されたかったのだという事だった。自らの為だけに悲しんで、苦しんで、誰かに縋りたかった。もう遅い。そんなものは許されない。私は1人だ。ずっとこの気持ちを殺しきらない限り、1人だ。傍から見たら下らない苦しみだ。苦しみと呼ぶに足らない我儘だ。人にエゴを押し付けて責任転嫁したかった。私は醜い人間なのだと、口だけでなく頭で理解しなければならない。私より苦しんでいる人は大勢いて、私は恵まれていて、ただ独りよがりに悲しみに浸る大馬鹿者だ。何もかも飲み込んで消し去って笑って、君の願いを叶えて、君の気持ちを尊重しなくてはならない。君の舌打ち、溜め息、罵声、全てが脳に蘇る度に私は我儘だと思う。何を被害者ぶっている。これをトラウマ等と呼ぶな。もうこれ以上私自身を大事にしてはならない。そもそも大事では無いのだから。

 

結局自尊心が高いのだ。醜くも。

 

愛されたかった私を認めないと次には進めない。まず認識しなければ殺すことも出来ない。口を封じたところで湧き上がるのだ。幸せを求めてしまった私を、罰や痛みで逃げることなく直視しなければならない。

そうやって自分を厳しく律するふりをすることにずっと酔っているのだと思う。悲しみに支配されることがきっと心地良いからまだ悲しんでいるのだと思う。いつまで耐えればいい、なんて考えている時点で私は大間抜けだ。それよりも多大なものを人に耐えさせているのだ。

それは苦しみではない。我儘だ。やめろ。もうやめろ。さもなくば死ね。私は、私を正しく認識して処分すべきだ。

理想の私は誰だ。惑うこと無く落ち着いていて、一度執着した(決して愛したとは言ってはならない!)相手の幸せを願って確り手を離して、永遠に与えることの出来なかった幸福を、愛を、私自身の成長と離別によって餞別として贈って、自分の想いに花を手向けて、それで?

それでも私は満たされたがる。

醜いなぁと思う。

この悲しみがいつか癒える日を待つ、なんていうのは我儘だ。そもそも悲しみなどないし、傷口もないし、私は私の為にずっと行動してきて誰の苦しみも顧みなかっただろう。自分の為に泣くのは辞めなければならない。もう許されない。

私を許す者などこの世界の何処にもいないことを受け入れなければ。

驕らず真っ直ぐに、ただ人の幸せを願える人に、ならないといけない。それ以外残されていない。死は全てを解決して全てを絶った上でしか選べない最後の救済だ。それ迄己の醜さに悶え続けなければならない。早くそれを頭で理解すべきだ。もう私は萩の原に辿り着いた。それから逃げて、薬による一時の多幸感や快楽や酩酊に浸っている私を、傷付くことから逃げる私を、どうか刺し殺す最後の手段をずっと探している。