倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

もう大丈夫

自分で言ったことすら覚えていない。

 

明確に身体にガタが来ている。幻覚が日常生活に襲ってくる。これは私のものだ、と思って手に取ったものが全く違うものだったり、家族が他人に見えたり、とにかく色んなものが現実とは違うかたちに見える。咄嗟の判断ができなくなって細かいことを忘れて、昨日の夜は自分の歯ブラシがどれか分からなくなってしまった。メイクの順番が分からない、服が選べない、薬の袋の朝・昼・夜が理解できない、食事が選べない、途中で無味になる。ふつふつとした怒りが止められなくなって衝動的に妹に暴力をやり返したり、親の話を親身に聞く姿勢も持てない。仕事の小さなミスで1週間は落ち込む。学校に行くことを考えると頭が割れるように痛くて吐き気がする。義務感で生きている。死にたいと思う。

 

私はもう一生分の愛を得た。それはきっと揺るぎなくて、全てが嫌悪にひっくり返ったであろう今でも、私の過去は取り消された訳ではなく。だからもう大丈夫なのだ。そうで在らねばならない。

自分のやることなすこと全てをあの人がどう思うかで測る必要はもう無くて、私が壊したものに変な執着を持つのはいけないことだ。だからなんの感情も抱いてはいけない。今はただ、好きだった人の幸せを喜び、祝福し、自分の人生に見切りをつけなければならない。何を言われていようが、どんなに傷ついたと誤認しようが、私に憤る権利はない。仕方の無いことだ。

時折前に進む為に何かを得ようと探してみたりするが、許されない事だ。全てはふと死ぬチャンスが巡って来るその直前まで自然に生きていくためのパフォーマンスだ。緩やかな自殺へ、変わらない結末へ、私は歩んでいるだけである。私という人間は死すべきであるという結論は変わらない。私は大人になるべきなのだ。なれないのなら、思い出と、貰った一生分の愛を抱いて死んでいくしかない。そうしなければならない。

心に空いた虚が身体中を侵食して苦しくなって錠剤を流し込んでも汚い煙を吸い込んでも血を流しても気がすまなくなった時、過去の愛に縋るのはもう辞めないといけない。もう大丈夫だから。もう私は何も考える必要は無い。命を賭け成功した結果すら上手く実行できなかった人間に、一体どれだけの生きる価値があるというのか。私に生きる権利はない。

もう大丈夫だ。私は安心している。これが順当な私の結末。ずっとそう信じてきたことが現実になったに過ぎない。飾るべき有終の美が終わったのなら、私は早く死なねばならない。私は大丈夫。全ては美しく完結している。足掻くことはもうしなくていい。終わっていく私の全てを笑顔で受け入れるべきだ。私は大丈夫。もう全てを抱いて死んでゆける。仕方ない。結論は変わらない。その日まで、平気であると、もう大丈夫だから安心してくれと周りを欺く最後の演技をしなければならない。私の幕引きを、誰にもみとどけて貰えなくとも、その手で行わなければならない。