倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

ベストタイミング

いなくなってよかったな、と思う。

 

まだ完全に消えられたわけじゃない。踏ん切りがつかなくて躊躇してるだけで全てを絶ったわけじゃないけど、存在感を無くすように努力をした今年最初の2日間、まあ、いいんじゃないかと思う。

 

最初から偶然みたいなものだったし、そもそも彼女は私の演じるものが好きになってからの関係だったし。役を全て投げ捨てた今私にはなんの意味もなかった。キリが良かった。大晦日にちゃんといなくなると宣言して、メインで活動していたTwitterアカウントを消すことで帰路を絶った。それで良かった。

 

静かに息を潜めてみてやはり、自分がいなくたって何もかも上手く行くのだと身に染みる。何度目かも分からないが、今度こそって身に刻みつける。

最初から私の存在は彼女に対して妨害だった。彼女の全てを心の底から許せない私は必要ないと薄々気づいていても自分の幸せを優先した。死ぬタイミングを逃してから後悔ばかりだ。幸せの中でもいつかは消えないとなとはじわじわ考えていて、自分が不必要になったその時、待ち焦がれたもう一度のチャンス、それが去年がちょうど終わる時巡ってきた。これがベストタイミングだった。死ではない嫌悪による別れだ。理想的だった。

きみは新しい道をゆくんだ。ぼくは思い出に溺れて死ぬから。

多分お互いを好きあったまま私の自殺によってもたらされる別れより、私に対する憎悪が増していく今私が悪者になって勝手に消えていく方が心の整理がつきやすいんじゃないかなって思う。本当はもう少し綺麗に生前に別れたかったのだけど、まあ、本当の私を知られたら、仕方ない。

 

というか本当の私が嫌い、ということよりは(どちらも嫌いではあると思う。比重の話だ)嘘をつく私が嫌い、の方が重いようには感じていた。ただこうやって嘘を重ねる嘘吐きの生き方は私が腕を傷まみれにしながらようやく手にした処世術だったので、否定されるのがちょっとつらかっただけだ。

 

自分のことばかりだ。こういう所を嫌われたのだ。

 

 

彼女の今は、きっと私に対して苛立ちを抱くか最早なんの感情も関心もないかのどちらかだ。それでいい。最初から私じゃダメだったのだから。きみの行く先には私より余程いい人がきみの為だけの1人分の幸福を抱えて待っている。それをきみに贈ろうと待っている。私はその人迄の何人いるかも分からない繋ぎで、駒で、人生に少しばかりのアクセントを付けるための障害であって、特別な感情を抱いてもらう価値など最初からなかったのだ。

きみの何もかもを受け入れてくれる人はきっと見つかるよ、私がいなくなりさえすれば。

私がいなくなれば何もかも上手くいく。

 

自分の恋愛というのはいつも相手が幸せになるための前座のようだ。私は躓くための石だ、と中学生の頃親友に言ったことがある。つまずいた所を拾い上げられ幸せになるための小道具だと。随分的を射た発言だったと思う。実際高校生の今だってそうだった。別にそれを可哀想だと思って欲しい訳でもないし、悲劇のヒロインぶりたい訳でも(たぶん)ない。それでいい。自分の好いた人が幸せになるならなんでもいい。自分の幸せを追い求めた所で、結局私は自殺でこの世を去るわけだし。去るものを追わず、どこか落ち着きを取り戻す君はきっとうつくしい。

 

 

さよなら。愛していました。愛していました。それが巡り巡って自分を愛することになってしまいました。ごめんなさい。自分を好きになってもらいたいがためにたくさん嘘をつきました。自分に対して燃え上がる貴方の想いが美しく愛おしく、そして思い上がりました。愛していました。同じだけの、それ以上の愛を見返りに求めてしまいました。ごめんなさい。愛していました。1度でも、2度か、2度私を大事にしてくれてありがとう。それが嘘でできた泥の塊だと知って、なお貴方は、なにをしてくれようとしたのでしょうか。私はそれを知るのが怖くて逃げ出しました。身に余るものであることを悟ってしまいました。それならば、それならば、自分は嫌われて、いなくなってしまえよと思ったのです。貴方に苦痛の愛を強いるのであれば消えるべきだと。ご存知かとは思いますが、私の恋心というものは酷く歪曲しているのです。歪んだ伝え方しか知らなくてごめんなさい。真っ直ぐで居られなくてごめんなさい。ただ、ただそれでも、自己愛が混ざっている醜いものでも、盲目な貴方は私の恋心を綺麗だと言ってくれたのです。

それだけで充分でした。

 

さようなら。

自分自身を葬るのは予定通り、今年の冬に。