倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

ふざけた日々

一昨日、スマホが文鎮化した。わたしもこうなるって思った。

 

学校の帰り、駅で突然タップが効かなくなって、ブラックアウトして動かなくなった。3時間ぐらい放置したら動き出したが、だましだましって感じだ。元々調子は悪かった。時間がはちゃめちゃにズレてたりとか、挙動がおかしかったりとか。

 

私も傍からみたらこんな感じなのかもしれない。普段は平気そうで、常に苛つく不具合が出てて、突然死ぬ。なんともなかったみたいに動き出す。死ぬところをあんまり人に見せなくなった。

 

久しぶりにロープを引っ張り出して非常階段で首を吊った。ロープが緩んで階段を転げ落ちて、痛いな、と思って、昨日家で一人になってからそれを思い出して泣いた。なんの涙かわからなかった。痛覚がある自分に絶望しているのかもしれない。痛覚さえなけりゃ私は中学で死ねた。

 

ともかくすきだったひとからはもっと距離を置かねばならない。ちょっと迷惑どころじゃなくなってきた。この醜い気持ちは、抑えておかなければ、必ず私に会えてよかったなんて一生聞けなくなる。

 

気紛れに、また前みたいにやさしいそのひとがもし、気を使って私を思い出してくれて、なにか言葉を並べるとして、到底受け取れる価値が、許される価値が私にあるとでも?その前に死んでしまうべきだ。死に時を逃した私は、明日にでも死ぬべきなのだが、なんだか未練があって、自殺行為はなんだか気が抜けていて、本当の死には至らないし、みんなウンザリしているにきまっている。

 

だけどなんだかんだ私はきっと次の朝には学校に行くし、三連勤は働くし、なにげないあのひとのつぶやきで生存確認して安心するし、端末は買い換える。私の精神も買い換えられれば、もっといいものに入れ換えた方がって、周りに死ぬほど思われてるのに。いや精神以外もだよ。全部、私が私である必要なんてとっくに失敗作にはないのだ。わかっていたけど、何故か生きている。悪夢を見て重い体を引き摺って生きている。なんて、なんてふざけた身体なんだ。

 

頼むよ。はやく消えてくれよ。