倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

自作自演

また今月の限界が来た。

月一、くらいのペースで限界が来て、彼女に頼ろうとする悪癖がなかなか治らない。

 

恋か執着か、彼女のことを考えない日はないし彼女と直接会って抱きしめてもらうことを想像するのだってしょっちゅうやっている。正直ちょっと相手からしたら気持ち悪いくらいに。依存だ。彼女のことを恋愛的感情として好き、とおもってるのか依存先なのかずっと欲しかったやさしい姉を求めているのかいじめてるのか分からない。

 

太ももも随分傷だらけになったものだ。しかし1番新しいのは両膝の擦り傷である。

 

先週、事故にあった。

 

バスから降りようと足を踏み出して、気付いたら地面にいた。バスと歩道のあいだをすり抜けようとした自転車に轢かれた。両膝は擦りむいて派手に血が出て、スマホは左下が砕け散った。タイヤはふくらはぎに乗り上げていて、そこからも血がどくどく出ていた。自転車に乗っていたのは同じ女子高生だった。相手が謝る前に、急いでいたのに足を止めてしまった申し訳なさで先に謝ってしまった。相手は急いで謝り返してきて、そのまま走り去ってしまった。

バスの運転手さんはとても優しく、バスを止めて大丈夫か確認してくれた。それが申し訳なくて、周りを衝突の音でわたしなんかのために心配させたり驚かせたりした罪悪感でいっぱいで、一生懸命謝ったあと私も歩き去った。血はだらだらこぼれて、情けない気持ちだった。私がバスを降りる時しっかり確認しなかったせいだ。私のせいだ。きっとまた周りに責められるし、この傷が痛くてもみんな大袈裟だと怒るのだろう。

 

そしてふと思った。あの時死んじゃえば良かった。倒れたのはどうして歩道側だったのだろう。車道側に放り出されてさらに轢かれて死ぬ、ぐらいしても良かったのではないか?と。

結局怪我は擦りむいたのと打撲だけで、今は立膝が辛いのと見た目が赤黒い程度でなんともない。変な運は強いのだ。 でも本当は、死にたかったと思う。

 

取り敢えず自分が悪いことにすれば丸く収まる、という場を体験しすぎたせいでもあるし考え方のくせでもあるのだが、この事故も全部私が悪かった、という体で周りに説明した。

 

誰も、私の想像したように私を責めなかった。

 

まず母はその時に警察に連絡しろ、と言ったし過失はほぼ0:10だ、と言ってくれた。無論周りを注意しなかったことも悪いとは言ってくれたが、私を責めはしなかった。むしろ直ぐに警察を呼ばなかったこと、親に連絡しなかったことを叱られた。

父はふーん、と言って私を責めることもそれ以上言及することもなかった。

職場の人は私は悪くないと言ってくれたし、慰謝料を請求すべきとまで言ってくれた。

Twitterでお世話になっているお姉さんのような存在の大人も、沢山心配してくれたし病院行きなさいって言ってくれた。

大会前なのに怪我して怒られるかと思ったが、学校の先生も私を責めなかった。

痛いといっても誰も怒らない。

 

正直もやっとした。長らく0:10という事態に遭遇しなかったのもあるが、どうして私を責めないのか、とわからなくなった。

じゃあ私が想像した“みんな”って、誰だ。

私はいつもそんなふうに疑った目で優しい人たちをみていたのか?

今までの理不尽に叱られた経験や向けられていた眼差しも、今回みたいに本当はなくて、全部自分の妄想だったんじゃないか?

 

じゃあ私が苦しかったのも辛かったのも、全部自作自演だったのか?

 

じゃあなおさら、あの時に死ぬべきだったんだ。

 

 

 

自分が許せなくなった。

 

ブロンを50錠飲んでやっとそれは収まって、脳みそを吹っ飛ばさないとやってられなくなった。今もその考えに頭が傾くとどうしようもなくて、今日も44錠飲んだ。身体中が痛むが、発狂しそうな希死念慮よりマシだ。この厄介な考え方をどう殺したらいいかわからない。もうどう生きたらいいかわからない。限界が来るのも間隔が短くなってきて、彼女に迷惑をかけそうになって、実際かけて、ゴミクズみたいな人間のなりそこないになってしまった。

 

これからどうやって生きよう。病気の原因も、今苦しんでる?原因も、全部私の思い込みで妄想で私のせいで自作自演だった。こんなやつに生きてる価値なんてない。ましてや愛される資格なんてこれっぽっちもないし人を好きになってはいけないし人と関わる資格もない。死ねよ。死んでしまえよ。周りがそう嘲笑しているように思えて薬を飲まなきゃやってられない。わからない。なにもわからない。今から彼女、家族、先生、まわりの理想の私を聞き出してそれに完璧に沿った人間に再構築するとかしないとたぶん生きてちゃいけない。このままじゃダメだ。だめだ。