倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

やめられないし、わからない

薬は辞められそうにない。とりあえず得体の知れない不安で迷子になりそうな時、眠りたくない眠るのが怖い時逃げ癖がついた。一週間半耐えてみたけどダメだった。薬のことしか考えられなくなる瞬間が1番死にたくて、飲んだらとりあえず衝動的な死にたさは収まる。罪悪感を伴う慢性的な死にたさはなくなる訳では無いが、半分なくなってちょっと身体が軽くなる。

 

髪をさらに短く切った。数年前の自分が見たら、今の自分はゾッとするほど変わったと思う。とにかく変わりたくて、物静かで真面目なステレオタイプの優等生気取ってた自分を殺したくて、16歳を迎えたのをきっかけにフルメイクを覚えてピアスを開けて長髪を思いっきり切って染めた。何もかも捨ててやろうと思った。

でも本質は変わらないみたいだ。周りに褒められると嬉しくなったり得意げになったりしてしまう。なにもかも中途半端だ。

 

行き場のない創作意欲は形にならず霧散して、息が詰まるような感覚がずっとある。学校で任せられた仕事をこなしていく方が容易い。自分で作り出すものがあんまりにもお粗末で困る。パソコンの前に1時間座っても何も生み出せないのは、ちょっとおかしいんじゃないか、ダメなんじゃないかと思う。

 

行きたいかも、と思った大学がある。……私立だが。行きたい分野も、結構趣味の延長線。趣味を本格的に学びたかったら多分ここだな、と思う。でも高等教育を受ける価値が自分にあるとはあんまり思えなくて、やりたいことをやりたいって言うことに罪悪感を感じる。お金借りて、親説得して、までする価値があるか?そんなことを許されるとでも思うのか?就職したくないから楽な方へ楽な方へ逃げようとしてるだけじゃないのか?貧乏人の能無しが夢見んなよって、どっかからぶつぶつ聞こえてくる。怖くなる。決断を後回しにしたくて、後回しにしまくって死のうかなと思う。

 

私の死にどきはきっと中学生で、逃したからこんなに苦しいんだと思う。なんで死んどかなかったんだろう。

手がガクガク震えてきた。

 

 

誰かを気遣いたい、誰かの支えになりたい、誰かの生きがいになりたい。自分がそうしてもらったように、今度はその人に自分がそうしたい。エゴだ。いい子ぶりたいだけ。分からなくなる。自分の自己中さに腹が立つ。上手に人の苦しみを受け止めたい。感情のゴミ箱になりたいと思う。ゴミ箱ごとポイッと捨ててみんなしあわせになったら素晴らしいんじゃないか?そもそも私は捨てられる側の人間である。拾われてはいけない。目に止めて貰えるだけ奇跡だ。要不要を判断してもらえるだけで至高の幸せのはず。それを思いしれないらしい私を殺してやりたい。

 

もっと、と思う欲を消したい。もっと安心したい、とかもっと愛されたい、とかもっと話して欲しい、とか。やっぱり中学生で死ぬべきだった。生きててよかったと思えない。死んでたらよかった。そしたら全部丸く納まったのに。我儘と頼るの違いがわからない。そんな綱渡りしたくない。わがままを言いすぎて、愛想つかされるのが怖い。たぶん自分が人間であることが怖いのかもしれない。石ころに産まれてきたらどれだけの人を苦しめずに済むのだろう。

 

自分の決定的に欠けた何かを探している気がする。何もかもがかけているのに。穴だらけのチーズに穴を探している。もしかしたら埋めてくれる人がいるかなって期待する。自分で開けた穴のくせに何を言っているんだ。

 

生きててって言われる。本心かはわからない。でも何となく生きてる。死ぬより楽だから、死ぬまでがめんどくさい。頭が痛い。薬が切れてきた。つかれた。やめる。