倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

霧の中でもがく

将来のことはあまり考えたくない。

 

学校は早々に終わり、一昨年のようなニート生活が始まっている。もちろん週末4日は働いているものの、平日は床に伏せっぱなしだ。気力がない。絵を描く小説を書くなどの生産的な行動は全くもってできないし、ゲーム読書アニメの録画消化などの受動的行為もできなくなった。暗い霧の中にいる。前が見えないのが怖くて誤魔化すために薬を飲む。今日は34錠。

 

学校から進路についてのプリントが来た。志望校、もしくは就職したい会社名を書き込んで提出。未定と白紙と未提出は許さないそうだ。何も考えたくない。1番周りに角が立たず提出できるのは、高1と変わらず埼大の志望を出すこと。でも正直そんな実現しない夢を机上の空論を語っても意味が無いとは考えている。

高校すらちゃんと受験せず通信単位制なんかに甘えてるやつが塾にもいかずに1人で自律的に勉強して完全な独学で完全な自己負担で国立大学なんて、誰が考えても無謀だ。過程なんて情熱でなんとかなる、という程の夢も持ち合わせちゃいない。かといって就職したい会社なんてない。甘っちょろい気持ちしか持ってないやつが就職したいなんて思う資格がない。無い無いづくし、でもでもだって。分かってる。死ぬしかない。死ぬしかないんだ。分かってる。でも怖いんだ。死ぬのが怖い。ゆるして。ごめんなさい。

自分の欠点を書き出して自己批判に励む。いくら自分を罵倒しても金は降ってこない。どうしたら。どうしたら。

 

自分がやりたいことなんて分からない。周りが何を望むか、周りがどんな私であれば納得するか。そればっかり考えている。だって最終結論は結局親が下すものだ。自分がやりたいことが出来たとしても未成年である限り全ての決定権は親にある。でも親の希望は到底実現不可能だ。ならばいなくなった方がいい。親の希望を実現できない子供が生きていていいはずがない。大反対を押し切った人の体験談なんて要らない。親の否定を上回る成功をチラつかせられたから、成功を信じられたから押し切れるのだ。そしてその先に圧倒的なそれをしっかり実現して親を満足させたっていう功績があるから成功談として語れるのだ。生存バイアス。大反対を押し切ってまで失敗した人はだいたい死んでいる。生物の状態としての生死ではなく、自分の心を死なせている。

 

私はそこまでして実現させたい成功も夢も語れない。ならば“今”周りが満足すればそれでいい。満足させられない人間は淘汰されるべきだ。死んだ方がいい。満足させなくちゃいけない。死んだ方がマシだ。誰かの理想に叶う人間になりたかった。好きな人の理想の彼女に完璧に近付いて愛されたいとかそういうのでもいい。なんでもいいから成功したかった。成功には気力と才能と地頭とカネが要る。何にもない。死ぬしかないんだ。心臓が痛い。このまま気が狂って死んだらいいと思う。死ねたら楽だ。今求められているのは、完全な独学、学費も全部自分で払っての確実な国立大学進学。これほどハッキリしているのに直視しようとしないのは、出来ないのは、自分の能力の不足と死ぬしかない現実が見たくないから。将来の話はしたくない。自分を見つめ直したくないから。いくら見つめ直してもダメな場所しか見つからなくて死にたくなるから。涙が出るから。