倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

2018/03/07

天候が良好でとくに頭痛なし。

今日も言いたいことはだいたい言えた。

 

昨日、1時間目に学校に行った。

卒業式の練習の見学、というよくわからない要件だけど、怖くて、怖くて仕方がなかった。

 

私は区切りとして中学の卒業式には出ようと思っていて、出るもんだと思っていた。

 

しかし私が希望した妥協案の「体育館後方ギャラリーからの参加」はどうも出来ないらしく、突然、一週間後500人弱の中に放り込まれて全員の前で卒業証書を受け取らなければいけない。想像するだけで涙が出そうだった。

昨日は時間にしておよそ45分しかなかっただろうが、その間ずっと誰か必ず先生方が横にいてくださって、囁くように来てくれて嬉しい頑張ろうね、と繰り返し言われる。

1年の時の担任は逃げ出さないように右手を握りしめ、ひたすら「みんなで卒業式」と唱えていた。怖かった。

 

卒業式って全員揃わなくちゃいけないもんか。中途半端な参加はダメなのか。期待に跳ねた現担任の声が苦しい。不登校な生徒を最後に参加させられたら先生の評価とか上がんのかな、って考える。言われるがまま明日も練習の見学だ。

 

今日の3時間ぶっ通しは無理やり通院日なんだとパスしてやり過ごした。

 

病院の先生に話すと自然と頭の中で感情を客観視できる気がする。

 

道が見えない中で藻掻くのはむちゃくちゃ気力がいるんだけど、今高校合格して入学金も納入して頂きとりあえずまあ高校への道は開け、その中で「やっておきたい」と無闇矢鱈にでなく道筋を考えて行動した方がずっとマシだ。

ただ卒業式が思ったより大変だっただけで。

 

これから塾の春期講習の相談に向かう。高校に向けた学習への意欲は高まってこれた気がしている。ありがたい。病院の先生、薬、両親、本当に感謝してもし切れない。