倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

2018/03/02と、アンナチュラル

ココ最近、金曜夜のドラマ「アンナチュラル」を継続して観ている。

 

不自然な死を遂げたご遺体を解剖して事件の真相に迫る、「UDIラボ」で働く法医学者達の話。

 

命とは。学ぶことが沢山あって、脚本の魅力にも取り憑かれている。

特に心に重く響いたのが今週の第8話と第7話だった。少しネタバレを含む。

 

7話はいじめの絡んだ自殺の話。細かな本編の内容は伏せるが、主人公・法医学者の三澄ミコトの発したセリフ、

あなたの人生は、あなたのものだよ。

 

物語全体の重要な役割を担う、恋人を他殺で亡くした中堂系のセリフ

死んだやつは何も答えちゃくれない

許されるように 生きろ

……が、とても、とても心に沈んでいった。

 

死んだやつは~の前に、自殺しようとした男子高生が

「僕だけ生きてていいのかな、」

と吐き出すのだが、それが余りにも私が常日頃から思っている事だったから、3回見て3回泣いた。

私は誰も亡くした訳じゃない。いじめられてもいない。それでも言葉が心に落ちていく速度は画面の彼と同じで、きっと私が死のうとしている時にそう言われたら、涙を流してその手を止めるのだろう。たぶん。

 

そして今夜の第8話。火災で11人の死傷者が出る。

ある1人の遺族の両親が彼のことをこう叫ぶ。

「ろくでなしが!お前のせいで何人も人が死んでるんだぞ!」

しかし彼は犠牲者全員を助けようとしていたのだった。頭蓋骨を骨折し炎と煙と煤の中で、最期まで、昔勘当されたのに両親を思いながら。

人を救うってこういうことなんだな、と思った。実際に彼は全員を救えなかったものの1人だけは救出に成功、亡くなった後はUDIラボで両親の誤解を解いてもらい泣いてもらう。

 

自分が今までやってきた悩み相談とか、本当にちっぽけで自分に酔っていただけだな、私はきっと彼のように人を救えはしないし永遠に両親に罵られながら死ぬんだな、いや言葉をもらう価値すらないだろうと命の大切さを知ったと言った口のついた頭で考えていた。

 

主人公達が血液を調べたりご遺体の微かな跡を探す度に皮を毟りすぎた唇と手首の傷、掻きむしりの手の甲を意識する。

 

その癖気分によっては高校生活に胸を馳せ制服を着たりローファーを慣らしたりしている。

 

命ってなんだろう。私が持っていていいのかな。許されるように生きれるだろうか。それを学ぶために社会に出るんだと言われたら、学ぶ前に自分勝手に死んじゃわないように気をつけなきゃなぁと思った。