それでも周りに生きて欲しくて
自分の甘さを痛感することが多い。
自分より大変でつらい人はたくさんいてそれでも自分の何千倍もがんばっていて、自分とはなんて甘えた存在なんだろうと固まった砂糖を崩すように潰したくなる。
高校の書類に判を貰い、入学祝いを頂いた。
人生とは、仕事とは、結婚とは、育児とは、介護とは、なんかそういう事を沢山説教された気がする。
育てて頂いた以上両親二人の介護頑張ってね長女だしね孫もはやくねいい男の人と結婚して普通の人生を送ってね、ダメなら小説かなにかで一発ドカンと当てて、俺たちを話題の人にしてね。
100%善意であり間違いなどひとつもないんだけど言われ続けたらできた人間ではないので反論したくて仕方が無い。
正直成人する迄生きていられる自信が無い。たぶん無様に死ぬ。長女の役割も初孫としての期待も放り投げて死ぬ。
ついでに恐らく両性愛者の為いい''男''の人を見つけるとは限らない。お前には独自性だとか特別性が全くないと小学生の頃から言われ続けてきたのでドカンと当てる希望もそんなにない。
ごめんなさい。
自己顕示欲は強いのに自己肯定感がないからしんどい、みたいなのがTwitterで出回っていたがまさにそうかもしれない。問題はそれが化け物みたいに増幅しひん曲がったので他人に褒めてもらえる段階にすら私という存在はいないということだ。死ねとしか言いようがない。跡形もなく消えられたらどんなに幸せかとまた自分の幸せを考えてしまう。
そんな時に今日、私の恩人が死にかけたと聞いて、ああ生きていてくれてよかったと心から思った。生きてるだけで丸儲けってこういうことか。「人って思いの外簡単に死ぬんだ」 と言っていて、私は死にたくても簡単に死なない自分の醜さをまた考えてしまっていた。
ニュースで報道される沢山の災害や事件や死について、いつもこの人より私の方が死ぬべきだったんだろうなぁ、代わりたいなとぼんやり思うことをやめられない。それが身近になった瞬間に涙を(二時間遅れだが)流しあなたが生きていてくれてよかったと言い思うのだから、全く仕方がない。
多分私はそういう人になりたいしそう思われたい。
自分が死ぬ事を親だからとか家族だからとかクラスメイトだからとかそういうの全部抜きにしても泣くほど嫌がり怖がってもらえるようなそういう人になりたかった。なれなかったけど。だから眩しいその人を追うのかもしれないと反省している。
他者中心的に誰かに尽くすように優しそうに見せたくて見せようとして、心の中では全てを私が死んだ時喜んでくださる他人を減らすためだとか本当は自分の承認欲求を満たすためだとか、自己中心的な思いを剥き出しにしている自分が大嫌いだ。
自分が嫌いな理由を挙げ連ねるとそんな所なんて誰だってあるよとか言われがちなんだけど、他の人は許されても私はダメなんだと答える。突き詰めれば
自分は死んでもよくて
周りが死んだら悲しくて
……というある歌の歌詞に結びつく。
自分を自分の感情を分析したり整えたり、そういう為に作った場所のはずなのにこの記事は全くまとまりがなかった。