倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

これまでのあらすじ(中学生編)

小学生編の続き。

 

 

中一ギャップで死んだ、と書いたがほんとそのまま字面通り死んだ。

 

小学生のノリで学級委員長になり学年全体をまとめることになった。

学級委員長の選出基準はゆるゆるで、学級委員会+学年主任の先生に向かってなぜ学級委員長になりたいのかなったら何をしたいか演説することだった。

私の得意とするところだ。取り敢えず耳障りのよく綺麗でそれでいて他とは違う、嘘を並べそれっぽく話した。あっという間に学級委員長だ。

授業も序盤はついていけた。丁度読んでいた小説に影響され部活紹介に心打たれ運動だけはダメダメな私が調子に乗って運動系部活に入部した。中学から始めたので基礎の基礎から始めたもののいい感触が掴めていた。痩せたし。

 

 

のんびり思ったより気楽に中学生活を送っていたが、あることに直面、そこから一気に転がり落ちていった。

定期テストである。

いや皆初めてだしこれからの人生何回経験するんだって事なんだけど、小学生で調子に乗った私にはプライドが粉々になったようなもんだった。

学年1位だったのに、なんと50位台。

250人位の学年で、51位。

 

そりゃそうだ。他のレベルの高い他校出身の子が混ざるわけだし。受験組もゴロゴロ、海外留学してた子だっていた。つまり上には上がいるをどかーんとぶつけられて大海を知ってしまった。母は明るく「次は1位取ればいいんじゃない?」と茶化した。

 

めちゃくちゃショックだった。

他のクラスメートには嫌味かって思われて学年の大多数がめんどくさい奴だと認識する位落ち込んだ。学級委員長たるもの一位じゃなきゃと思ってた。学級委員長なのに、っていう謎のプライドも粉々になってみんなに申し訳ないとか言い出してほんと嫌味だと思う。今更ごめんなさい。

 

そして、謎の罪悪感により初めて手首を切った。

むしゃくしゃしてたと思う。左腕が、自分の身体全部が汚く憎く思えた。いい子じゃない。いい子って、一番いい子ってそりゃあ一番の子だけに決まってるよ。って考えに囚われて、死にたくて、でも怖くて、カミソリの替刃で薄く。

リスカそのものは小学生から知ってた。親友がリスカしちゃおうかな、って目の前でハサミ出したり、死にたいの!って道路に飛び出す子だったから。

 

血は滲んだ。ささくれ程度だった。傷も残らなかった。

つらくてつらくて、ほんと些細で誰もはァ?で返すような事が積もり積もってつらくて、なんとLINEのタイムラインに乗っけてしまった。替刃を机の上に投げ置いた写真と共に。馬鹿馬鹿しい。

 

やっぱり問題になった。LINEで繋がっていたクラスメートの親が偶然私の投稿を見て学校に通報したらしい。そもそも私は(タイムラインで会話するような)友達が少なく、その投稿に反応もなにもなかったので学校生活には一切支障が出なかったけれども、担任は騒動自体を問題視して、2度とタイムラインにこんなもの載せるな、LINEなんてやめろ二度とするな!と密室でキツく私を叱った。

 

手首の傷に触れた人は誰もいなかった。

 

それからはむしゃくしゃする度に薄く薄く切って、ぐちゃぐちゃな思いも吐き出さずに一人で処理した。部活の人間関係を構築するのにも忙しかった。

定期テストはテスト2週間前から深夜3時まで必死に勉強して20位台を取った。次は1位取ってね、と母に言われた。たしかその直後くらいにその替刃をデスクの上に置きっぱなしにし、問い詰められ誤魔化しリスカもどきをひとまずやめた。

 

このままやめれば良かったのに、また些細なことでリスカは再発する。

 

ぼかさずに言うと失恋である。くだらないありふれた話だし誰も悪くないんだけど。

部活に打ち込むあいだに同じ部活、男子の同学年の1人に惹かれた。

 

それが男子側の一人にバレた時、多分それを本人にバラされた。

少しづつ頑張って近付こうとした結果、告白すらする前に気持ち悪い、嫌いだと、言われた。

ついでに一番の親友も彼が好きだった。私に嘘をついて気を遣い隠してくれていたけど、やっぱり言うね。と私を信用して。

 

私は容姿が優れている方とはお世辞にも言えない。親友の彼女は美人でモテる。そして彼女に脈もあった。

つまりそういうことで、身を引いてその二人を取り持とうとしたがその後どうなったかは知らない。

同時に足を疲労骨折、しかも目に見えない場所の骨を折った。膝も痛めた。ギプスもできないような場所。部活を続けるなら一生繋がっては折れ激痛の繰り返しですと整形外科医に警告された。

夏休みには原因不明で毎日のように倒れた。

でも目に見えない。どんなに痛くてもどんなに辛くても見えない、診断書を顧問に出し部活全体に言ってもらっても見えないもんは見えないので、誰も信用してくれなかった。つまりほぼ全員がリハビリ中の私をサボり部員だと認識した。体育も同じ。空気は冷たい。

 

しんどくなって、そこから完全にリスカ自傷を始めることになった。

 

そこで自己完結し痛くても辛くても何も言わずに何もせずに続ければよかったんだと毎日寝る前に反省している。

過去のことなのに、もうどうしようもないのに、そうしないと許される気がしないのだ。

 

深夜泣きながらカミソリを使って手首を切り、お小遣いは市販薬に注ぎ込み50~120錠をOD、翌朝ふらふらのラリった状態で学校に足を引きずり向かう。もちろん風邪薬や頭痛薬やブロン(麻薬が微量に入った咳止め、一時的な幸福感を味わえるが副作用がつらい)をキメて副作用に殴られる状態でまともに授業が頭に入るはずもない。土日の稽古は嘘で早退、家に帰る時間まで林で泣くか非常階段で手首を切るか首を絞めるかの生活をしていたら、非常階段から飛び降りたくなった。

 

飛び降りて、また足の骨を悪くし、希死念慮は積み重なり限界になってとうとう精神科の扉を叩いた。

 

そこで優しく話を聞かれたらボロ泣きし薬を処方されたものの(ODで胃がボロボロだった)胃痛は治らず、朝は起きれず、涙は止まらず、症状に幻聴が出てきて教室で授業を受けるのも怖くなって、不登校になった。

 

本当に私は親に恵まれている。不登校を今日この日まで虐待もせず許してくれる親なんてなかなかいないだろう。それでも辛い死にたい苦しいと叫ぶ自分が憎くて憎くて仕方がない。甘えだ!と誰かが頬を張るくらい、いやそれ以上をしなければ腐ったままだ。それが出来ないので、切る。痛みを感じさせる。その上で自分にもっと痛い人も苦しい人もいると言い聞かせる。

 

しんどいので一旦切る。やっぱり記憶のアウトプットは辛いし疲れる。