倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

望まれて尚

早く死んでくれないかなって思われているのはわかってた。だけど実際に文が目に入ると鼓動が早くなった。最低だなって思った。

 

もう何ヶ月経ったのか数えるのをやめて随分経つ。私は未だこのやり場のない憤りを抱えたまま生きているわけで、心臓を動かしているわけで、自分に甘いみたいだ。年明け以降、いやカフェインOD以降自殺未遂を一度もしていない。地獄のように苦しいってわかってしまったから。許されざる事だと思う。私を責める声が聞こえる。

 

自分の機嫌は自分で取りたい。感情をコントロール出来なければ、また誰かに迷惑をかける。疲れさせる。最近徹底している、あ、無理だ誰か助けてくれ、私の話に肯定を返してくれ、と思った瞬間に他の人間と距離を置くこと。これは最善策だ。まだ誰にも頼らない。大丈夫、やっていける。

 

滑稽に生きていくには、自分を殺しきらないといけない。感情を殺せない、苦しむのが怖い、自殺に踏み切れない私に、罰を与えなければいけない。そう思ったら物理的な自傷癖がぶり返した。制服で隠れる二の腕、太腿、足首をカミソリでスパスパ切っている。この前はなかなか深めに切ってしまって、縫合は嫌だからテープでずっと肉を寄せてくっつけようとしていた。

ピアッシング用に買ったニードルを肘裏に刺して瀉血をする。ブロンの空き瓶一瓶ぶん抜いてみたら頭がグラッとするのがODに似ていて楽しい。ブロンODはほぼ日課だ。金ばかり浪費する。

 

苦しんで(大した苦しみではないが、便宜上苦しむと表現する)苦しんで藻掻いて、誰にも頼らずにこの想いを完結させようとしている間、暴言言いっ放しの彼女は楽しくイチャイチャしながら生きてんだろなと醜くも思う。そんなもんだ。そして彼女は私といる時より遥かにうつくしいものを沢山沢山作っている。彼女は私の不可侵な光だ。どんなときも、今も。私と離れたことは彼女の人生にとって賢明で正しい尊重されるべき判断だ。世界ってそんなもん。なにもかも仕方ない。全て私が望んだことで、全ては順当。だから私は早く死なないといけない。滑稽な一人芝居を誰かに見せつけて縋る前に死なないといけない。4月からの新生活への準備が整っていく中、あれ、これでいいのかな。私生きていくつもりでいていいのかな。って思う。出ていくお金を見ながら後戻り出来ないなって目の前が真っ暗になる。生きていちゃいけないのになぁ。

去年の今頃はプロポーズに舞い上がっていた。若かったなぁと思う。一生離さないなんて戯言、熱に浮かされれば信じてしまうものだな。吐き気がする。きみじゃなきゃダメなんて大嘘だ。ゆるせねぇなって思いたくなるのを必死で抑えている。

 

四肢を包帯でぐるぐる巻きにして、早朝に壁に向かって泣いている私は滑稽だろう。なんで醜くも生きているんだろうな。空っぽのまま生きていってもいいんだろうか。何も生み出せないくせに。

 

もう大丈夫

自分で言ったことすら覚えていない。

 

明確に身体にガタが来ている。幻覚が日常生活に襲ってくる。これは私のものだ、と思って手に取ったものが全く違うものだったり、家族が他人に見えたり、とにかく色んなものが現実とは違うかたちに見える。咄嗟の判断ができなくなって細かいことを忘れて、昨日の夜は自分の歯ブラシがどれか分からなくなってしまった。メイクの順番が分からない、服が選べない、薬の袋の朝・昼・夜が理解できない、食事が選べない、途中で無味になる。ふつふつとした怒りが止められなくなって衝動的に妹に暴力をやり返したり、親の話を親身に聞く姿勢も持てない。仕事の小さなミスで1週間は落ち込む。学校に行くことを考えると頭が割れるように痛くて吐き気がする。義務感で生きている。死にたいと思う。

 

私はもう一生分の愛を得た。それはきっと揺るぎなくて、全てが嫌悪にひっくり返ったであろう今でも、私の過去は取り消された訳ではなく。だからもう大丈夫なのだ。そうで在らねばならない。

自分のやることなすこと全てをあの人がどう思うかで測る必要はもう無くて、私が壊したものに変な執着を持つのはいけないことだ。だからなんの感情も抱いてはいけない。今はただ、好きだった人の幸せを喜び、祝福し、自分の人生に見切りをつけなければならない。何を言われていようが、どんなに傷ついたと誤認しようが、私に憤る権利はない。仕方の無いことだ。

時折前に進む為に何かを得ようと探してみたりするが、許されない事だ。全てはふと死ぬチャンスが巡って来るその直前まで自然に生きていくためのパフォーマンスだ。緩やかな自殺へ、変わらない結末へ、私は歩んでいるだけである。私という人間は死すべきであるという結論は変わらない。私は大人になるべきなのだ。なれないのなら、思い出と、貰った一生分の愛を抱いて死んでいくしかない。そうしなければならない。

心に空いた虚が身体中を侵食して苦しくなって錠剤を流し込んでも汚い煙を吸い込んでも血を流しても気がすまなくなった時、過去の愛に縋るのはもう辞めないといけない。もう大丈夫だから。もう私は何も考える必要は無い。命を賭け成功した結果すら上手く実行できなかった人間に、一体どれだけの生きる価値があるというのか。私に生きる権利はない。

もう大丈夫だ。私は安心している。これが順当な私の結末。ずっとそう信じてきたことが現実になったに過ぎない。飾るべき有終の美が終わったのなら、私は早く死なねばならない。私は大丈夫。全ては美しく完結している。足掻くことはもうしなくていい。終わっていく私の全てを笑顔で受け入れるべきだ。私は大丈夫。もう全てを抱いて死んでゆける。仕方ない。結論は変わらない。その日まで、平気であると、もう大丈夫だから安心してくれと周りを欺く最後の演技をしなければならない。私の幕引きを、誰にもみとどけて貰えなくとも、その手で行わなければならない。

それでも命は続く

また死なずに年を越してしまった、なんて後悔する。

 

グチャグチャの想いは消えることなく呪いのままで、腫れ物扱いでしかない自分に落胆して、それでも肺は酸素を求めていることに厭き厭きする。

 

この苦しみは1000年続くと思う。ただ生きていることが虚しくて、何を生産しても働いても心に虚が空いたままで。賭けに失敗していたかったと思う。条件付きで相互ブロックの予定だけ立てて、バイバイを経たにもかかわらず未だ捨てれず諦めの悪い呪いを抱えている。薬が抜けてくると思い出を掘り返して枯れるほど泣くのを未だに続けていて、涙が尽きないことにも辟易する。プロポーズを信じていたかった。破り捨てて可燃ごみの日に出されたであろう様々な約束を反芻しては泣いている。苦しいとか悲しいとか怒りとか、そういうものを感じるのを許されたい。沸き上がる感情に許可を与えて欲しい。押さえ付けても踏みつけても引きちぎっても湧いてくる。


f:id:aoi_light_night:20210102035154j:image

 

見届けたのだから、もう死んだ方がいいのだろうとは思う。死ぬのが苦しくて辛いから逃げてるだけで、毎日毎時間毎秒死に時を逃して先送りしてるだけで、もう死ななくてはならない。気づいたら今月で18歳で、17の冬で死ぬ約束も破った。もう生きている意味は無いと思う。自分を殺さねばならないことから目を背けている。未練を捨てられないままでいる自分が愚かで虚しい。

ただ彼女の幸せを喜べず呪う自分が憎い。

1人で抱えて生きていくのだ。なにもかも。幸せを望む心を殺したら何処へ行こう。行く所もない。今自傷も薬も酒も煙草も愛想を尽かされて遂に家を追い出されたとして、もう逃げる場所はないし縋り付く相手もない。溺れたままで、藁もなくて、萩の原で天を仰ぐ。身体の軋む痛みを受け入れて顔面をグチャグチャにして眠る日々を過ごすうちに世界を呪う。いつか私を対等に人間として愛してくれる人が現れないかと淡い期待を抱くことを殺せたらどんなにいいかと思う。だけどもう誰も疲れ果てさせたくは無い。何もかも飲み込んでは死にたい。今目を瞑って、目を覚まさなければいいなぁ。それでもきっと今日は朝になったら起き上がって、アルバイトに行く。分かってる。なんで命が続いているのかは分からないままで。

醜いのだと

自分の為に怒ることを許されたかったのだと思う。

 

自分勝手だと、それは自己中心的だと、己を戒め続けて、それでも足りなくていつも感情のコントロールに失敗して、結局最悪の結果しか招かない。

 

あれから1ヶ月経った。未だに涙が出る。それが気持ち悪くて死ねなかったことを後悔している。

私は幸せ者だ。いちばん辛いのは君だ。何度も考えて言い聞かせて戒めて罰を与えても湧き上がる嫌悪感が気持ち悪い。

聖人君子にでもなりたいのだろうか。分からない。ずっと願ってきた君の幸せが受容できない私が憎い。傷つきたくないから傷ついた振りをしてきた。諦めろ。諦めてはいるはずなのだ。命を懸けて勝っただろう。あれは勝利だ。あの地獄すら生ぬるい苦しみを経て尚未だ死にたい。恨み節が漏れる。早く安らかに死ねたらと思う。

 

少し理解したのは、私は自らの為に怒ることをどうしても許されたかったのだという事だった。自らの為だけに悲しんで、苦しんで、誰かに縋りたかった。もう遅い。そんなものは許されない。私は1人だ。ずっとこの気持ちを殺しきらない限り、1人だ。傍から見たら下らない苦しみだ。苦しみと呼ぶに足らない我儘だ。人にエゴを押し付けて責任転嫁したかった。私は醜い人間なのだと、口だけでなく頭で理解しなければならない。私より苦しんでいる人は大勢いて、私は恵まれていて、ただ独りよがりに悲しみに浸る大馬鹿者だ。何もかも飲み込んで消し去って笑って、君の願いを叶えて、君の気持ちを尊重しなくてはならない。君の舌打ち、溜め息、罵声、全てが脳に蘇る度に私は我儘だと思う。何を被害者ぶっている。これをトラウマ等と呼ぶな。もうこれ以上私自身を大事にしてはならない。そもそも大事では無いのだから。

 

結局自尊心が高いのだ。醜くも。

 

愛されたかった私を認めないと次には進めない。まず認識しなければ殺すことも出来ない。口を封じたところで湧き上がるのだ。幸せを求めてしまった私を、罰や痛みで逃げることなく直視しなければならない。

そうやって自分を厳しく律するふりをすることにずっと酔っているのだと思う。悲しみに支配されることがきっと心地良いからまだ悲しんでいるのだと思う。いつまで耐えればいい、なんて考えている時点で私は大間抜けだ。それよりも多大なものを人に耐えさせているのだ。

それは苦しみではない。我儘だ。やめろ。もうやめろ。さもなくば死ね。私は、私を正しく認識して処分すべきだ。

理想の私は誰だ。惑うこと無く落ち着いていて、一度執着した(決して愛したとは言ってはならない!)相手の幸せを願って確り手を離して、永遠に与えることの出来なかった幸福を、愛を、私自身の成長と離別によって餞別として贈って、自分の想いに花を手向けて、それで?

それでも私は満たされたがる。

醜いなぁと思う。

この悲しみがいつか癒える日を待つ、なんていうのは我儘だ。そもそも悲しみなどないし、傷口もないし、私は私の為にずっと行動してきて誰の苦しみも顧みなかっただろう。自分の為に泣くのは辞めなければならない。もう許されない。

私を許す者などこの世界の何処にもいないことを受け入れなければ。

驕らず真っ直ぐに、ただ人の幸せを願える人に、ならないといけない。それ以外残されていない。死は全てを解決して全てを絶った上でしか選べない最後の救済だ。それ迄己の醜さに悶え続けなければならない。早くそれを頭で理解すべきだ。もう私は萩の原に辿り着いた。それから逃げて、薬による一時の多幸感や快楽や酩酊に浸っている私を、傷付くことから逃げる私を、どうか刺し殺す最後の手段をずっと探している。

カフェインOD自殺の賭けに勝った記録

私の一世一代の賭けだった。地獄を見たけれども、勝ったから私はそれでよかった。

賭けた内容は次の通り。

 

カフェイン錠の過剰服薬を一般的致死量程度行い、死ななかったら勝ち。彼女と友達になれるよう頑張る。死んだら負け。自分の恋と共に死ぬ。

 

10月4日

バイト終わり薬局を泣きながらハシゴする。買えるだけカフェイン錠を買い集める。

 

10月5日深夜25時〜(?)

服薬。

量はTwitterの病み垢で呟いていたので確認したところ、あまり飲めなかったらしい。トメルミン1シート(無水カフェイン1000mg)、エスタロンモカを2シート(無水カフェイン2400mg)、たしか呟いた後に12の方をもう1シート(無水カフェイン2000mg)飲んだ覚えがある。

買った分全ては吐き気で飲めなかった。一応3時間以内に摂取すると危険な分は飲んだっぽい。

 

そのまま眠らず。生唾を飲み奥歯を噛み締めていろいろに耐える。泣いて眠る。段々手足が落ち着かなくなる。

 

10月6日早朝3時

ここにきて1回目の嘔吐。ずっと堪えて居たのがトイレに行ってここなら吐いても大丈夫かと気を弛めた瞬間にアウト。死ねないことが分かる。まあ仕方ねぇ学校行くかと思って馬鹿な私は冷たいお茶をコップ一杯飲み干して生唾諸共飲もうとしたところ食道が痛すぎて死にかける。親に学校に行けなそうなことを伝えた瞬間血の混じったものを吐く。(多分炎症かなんかなってたんだと思う)

それから半日くらいなにも口に出来なくなる。

 

生きていることには生きているので血を吐きながら彼女との鍵垢に用意していた文章をつらつら上げる。そいつを実行する自信がなくなる。

 

お茶は大さじ1ずつくらいしか飲めない上痛みに苛まれる故処方の精神薬が飲めない。1日15錠くらいあるけど吐き気でギブアップし、母が選んで1錠ずつ渡してくれるので1日かけて朝の分を飲む。

 

意識が嫌にハッキリしている。そらカフェインですし。処方薬をちゃんと飲めていないのでイライラやら気分の浮き沈みやらがモロに出てくる。昼過ぎから文字すら気持ち悪くなり心配した学校の友人からのLINEが返せない罪悪感で泣く。

寝転がるのがしんどいので体育座りやそれから足を伸ばした格好しかできない。

音がおかしい。世界の音が全て半音上がっている。大好きな米津玄師が気持ち悪くて聞けない。母も沼に沈めたので夕飯の準備中は延々と掛かっている米津玄師が発狂しそうなほど狂った音で歌い続けているのがしんどい。

 

その夜も眠れずひたすら気持ち悪い。だけど無のまま壁にもたれてるのもこれが永遠に続くかと思うと死にたくて仕方ない。死に損なってこうなったのに哀れだ。西美濃八十八人衆のクロックタワー実況をイヤホンつけたり外したり画面伏せたり開けたりその時一番マシな感覚で視聴して夜を過ごす。

 

10月7日

余りにも何も食べれない私の為に、早朝母がコンソメスープを作ってくれる。腹は減っているので時間をかけて何とか完飲する。

 昨夜メチャクチャ喉が渇いたので思い切ってグリーンダカラを飲みまくったが吐かずに済んだので調子に乗っており、ララクラッシュ(蒟蒻畑が細切れにされてゼリーに包まれているあれ)をふたつ食べる。全部吐く。

 手足のムズムズ感と気分のイライラが無視できなくなる。家の中を歩き回る。頻尿も無視できなくなる。トイレと布団の往復に生きて、なんでこんなことしてんのやろと思う。

 “わたし”の自我がグチャグチャになる。あしからゾワゾワなにか亀裂が入って私がふたつに別れそうな幻覚を見る。足を殴りながら家を這う。

 

 朝、手足のムズムズ感が我慢できなくなり、とうとう母に医者に連れて行ってくれと歩き回りながら頼む。尚この時点でも今でもODをしたとは言っていない。多分カウンセリングの時に言えたら言おうと思っている。

朝一番でかかりつけの精神科に行くも予約無しのため順番がガンガン後回しになる。どすっぴん学校Tシャツジャージなのが痛くて車に逃げ込んで順番を待つ。

LINEで母に順番が来たことを知らされるも、車に上手く鍵がかけられず手間取り、病室に入った頃には母の説明が済んでいた。原因のODについて切り出すことは出来ず、採血を4本と検尿をして帰らされる。

 

 外出で落ち着いていた手足のムズムズ感が家に帰ると蘇ってしまう。結局昼の薬の時間まで近所を延々と歩く。母がもう一度病院に電話をしてくれムズムズ止めを処方してもらうことになり、一旦家に帰って昼の薬を飲んだあとまた病院に行った。

 

 ムズムズ止めをもらい飲んでからはだいぶ良くなった。ずっと噛み締め続けた顎と歯が痛くて固形物が難しく、暫く雑炊ややわらかいうどん等で食いつなぎ、結局金曜まで学校は行けなかったが金曜夕方のバイトには4時間きっちり出る。土曜は頭痛と吐き気で早退したが、日曜はしっかり8時間働いた。

 空虚な夜にアニメを見て笑って、Twitterを無視して思う存分漫画をよんだりゲームをしたりして、推しになんの遠慮もなく黄色い悲鳴をあげて、なんだ私元気だな、もう大丈夫だなと思う。全てを失ったみたいに被害者ヅラして蹲るのはクソだなと理解する。

 

まぁ、賭けは成功し生還した。もう二度とカフェインによる自殺は計らないだろう。頭が狂いそうなあの時間は二度と過ごしたくない。あの時間でどうにか、私の弱い卑しい心は死んでくれたものと思う。また静かに待っていたいと思う。もう二度と彼女が帰ってこないのは分かっているけど、完全に恋心が消え去るまでずっと私は1年前のように待ち続けるしかできないだろう。それでも、友達でいようと言ってくれた彼女の願いが叶えられればそれでいい。私はきっとそれで幸せだ。