倒れ付すとも。

自分が満足して死ねればそれでいいのです。

月下美人

イヤホンの向こうの規則正しい寝息を聞く。

吐息と、時折混ざる鼻をちいさく鳴らす声、稀に聞こえる微かな微笑の音、全てに彼女の生を感じてちょっと泣きそうになる。

 

わたしは。わたしは。

 

ずっと前から、生きることをゆるされていたのだ。

本当にもう少しでいい。

多くは望まない。

高望みする度胸はない。

 

それでもわたしは、あなたにあいされていたかったのだ。

 

 

どうか閉じることのない花を。

ベストタイミング

いなくなってよかったな、と思う。

 

まだ完全に消えられたわけじゃない。踏ん切りがつかなくて躊躇してるだけで全てを絶ったわけじゃないけど、存在感を無くすように努力をした今年最初の2日間、まあ、いいんじゃないかと思う。

 

最初から偶然みたいなものだったし、そもそも彼女は私の演じるものが好きになってからの関係だったし。役を全て投げ捨てた今私にはなんの意味もなかった。キリが良かった。大晦日にちゃんといなくなると宣言して、メインで活動していたTwitterアカウントを消すことで帰路を絶った。それで良かった。

 

静かに息を潜めてみてやはり、自分がいなくたって何もかも上手く行くのだと身に染みる。何度目かも分からないが、今度こそって身に刻みつける。

最初から私の存在は彼女に対して妨害だった。彼女の全てを心の底から許せない私は必要ないと薄々気づいていても自分の幸せを優先した。死ぬタイミングを逃してから後悔ばかりだ。幸せの中でもいつかは消えないとなとはじわじわ考えていて、自分が不必要になったその時、待ち焦がれたもう一度のチャンス、それが去年がちょうど終わる時巡ってきた。これがベストタイミングだった。死ではない嫌悪による別れだ。理想的だった。

きみは新しい道をゆくんだ。ぼくは思い出に溺れて死ぬから。

多分お互いを好きあったまま私の自殺によってもたらされる別れより、私に対する憎悪が増していく今私が悪者になって勝手に消えていく方が心の整理がつきやすいんじゃないかなって思う。本当はもう少し綺麗に生前に別れたかったのだけど、まあ、本当の私を知られたら、仕方ない。

 

というか本当の私が嫌い、ということよりは(どちらも嫌いではあると思う。比重の話だ)嘘をつく私が嫌い、の方が重いようには感じていた。ただこうやって嘘を重ねる嘘吐きの生き方は私が腕を傷まみれにしながらようやく手にした処世術だったので、否定されるのがちょっとつらかっただけだ。

 

自分のことばかりだ。こういう所を嫌われたのだ。

 

 

彼女の今は、きっと私に対して苛立ちを抱くか最早なんの感情も関心もないかのどちらかだ。それでいい。最初から私じゃダメだったのだから。きみの行く先には私より余程いい人がきみの為だけの1人分の幸福を抱えて待っている。それをきみに贈ろうと待っている。私はその人迄の何人いるかも分からない繋ぎで、駒で、人生に少しばかりのアクセントを付けるための障害であって、特別な感情を抱いてもらう価値など最初からなかったのだ。

きみの何もかもを受け入れてくれる人はきっと見つかるよ、私がいなくなりさえすれば。

私がいなくなれば何もかも上手くいく。

 

自分の恋愛というのはいつも相手が幸せになるための前座のようだ。私は躓くための石だ、と中学生の頃親友に言ったことがある。つまずいた所を拾い上げられ幸せになるための小道具だと。随分的を射た発言だったと思う。実際高校生の今だってそうだった。別にそれを可哀想だと思って欲しい訳でもないし、悲劇のヒロインぶりたい訳でも(たぶん)ない。それでいい。自分の好いた人が幸せになるならなんでもいい。自分の幸せを追い求めた所で、結局私は自殺でこの世を去るわけだし。去るものを追わず、どこか落ち着きを取り戻す君はきっとうつくしい。

 

 

さよなら。愛していました。愛していました。それが巡り巡って自分を愛することになってしまいました。ごめんなさい。自分を好きになってもらいたいがためにたくさん嘘をつきました。自分に対して燃え上がる貴方の想いが美しく愛おしく、そして思い上がりました。愛していました。同じだけの、それ以上の愛を見返りに求めてしまいました。ごめんなさい。愛していました。1度でも、2度か、2度私を大事にしてくれてありがとう。それが嘘でできた泥の塊だと知って、なお貴方は、なにをしてくれようとしたのでしょうか。私はそれを知るのが怖くて逃げ出しました。身に余るものであることを悟ってしまいました。それならば、それならば、自分は嫌われて、いなくなってしまえよと思ったのです。貴方に苦痛の愛を強いるのであれば消えるべきだと。ご存知かとは思いますが、私の恋心というものは酷く歪曲しているのです。歪んだ伝え方しか知らなくてごめんなさい。真っ直ぐで居られなくてごめんなさい。ただ、ただそれでも、自己愛が混ざっている醜いものでも、盲目な貴方は私の恋心を綺麗だと言ってくれたのです。

それだけで充分でした。

 

さようなら。

自分自身を葬るのは予定通り、今年の冬に。

逃亡

あけましておめでとう、は言えそうにない。

 

12月はいろいろあった。というか、今年の冬がちょっと波乱すぎたかもしれない。

 

もう1回付き合おうか、ってなったのが11月。甘やかされ、慰められ、手を引かれ、うっとりとぬるま湯の日々に浸っていた。楽しかった。

 

気づいたらまた自分自身を肯定できない日々と不安がやって来ていた。それに罪悪感を感じていた。そんな私を救けてくれる彼女の要求は全部呑みたかったし、彼女の理想とする素敵なおんなのこでいたかった。私を人間として見てくれるなら多少の無理はどうでもよかった。全てを笑って流して従順に、ただただ愛されていることが幸せで、時々幸せ借金が溜まってるなと思って、それでもこのままでいれると思ってた。

 

それなのに私は、なんて非道いことを。

私はその全てをゴミにした。

 

許されるんじゃないか、なんて期待して私は自分の本質を見せることに踏み切ってしまった。

つまり、今までの理想的に振る舞う私は作られた外面だった、作った化けの皮だったとバラしたのだ。

多少の無理、が積み重なってカチンときてしまったんだと思う。なぜ耐えられなかったのか分からない。また笑って流せばよかった。愛故だねって笑って許せばよかった。今までそんなのどうって事なかっただろうに。ただちょっとだけ私も怒ってみたかったのだ。許されるって思い上がってた。

 

駄目だった

 

自分が取り繕ってた事を知られて尚優しくなんてしてくれるはず無かった。一気に冷めた態度をとる彼女に恐怖が湧いた。私の今まではぜんぶ駄目で、楽しかったことも私が化けの皮を被っていたなら全部ゴミ。過去の話をいくらしても、全部偽りだから駄目だって。心の奥底から要求を呑めなかった私が、頑張れなかった私が、本当は理想の姿じゃなかった私が駄目だった。

私自身のことも受け入れてもらってると思ってたけどそれも違った。面倒臭いとは思わないから付き合ってくれてると思ってたけど、面倒臭さに耐えることに慣れきってしまってただけだった。誤解が誤解を呼んだ。嘘をつき始めたのは私からだった。

 

もういっそ殴られた方がマシだ。暴力で私に訴えて気を晴らして欲しかった。直接な痛みで分からせて欲しかった。事実とすくなくなった文字だけが淡々と失望で突き刺さった。

全部私が悪い全部私のせいだって毎日唱えた。毎日思い知った。

私のせいで何もかもが終わった。

 

関心が一気に薄れていたのを感じた。警戒されて壁ができた事実で何度も自分を刺した。

 

私じゃなくても構わなくなってしまった。

私は唯一じゃなくなった。

諦めと、冷たさと、呆れ。真面目に話そうとしても嘲笑が返ってくるし、全部無駄と判断されるようになってしまった。ただただ私が面倒なやつだと厄介に思われて私が不快であるという意思が痛いほど突き刺さる。

なにもないのが苦しかった。自分の行動じゃ1ミリも彼女が動かず動きたくなく、纏わり付けば心底面倒だ、とみせつけられてもそれでも好きだって言われて矛盾でグチャグチャになってどう考えればいいか分からない。

 

好きな人に愛される為の自分磨き、の延長線上に私のいい子思想が重なった場合の結果はゴミと断じるに相応しかった。

それでも私を捨てようとしないで、彼女はなにが楽しいのか全く分からなかった。今つらいと訴え掛けても今は切り替え期間だから、と返ってくる、切り替え期間ってなんだ。なにされても怒っても絶望しても苦しんでもいけなくて、待たないといけないらしい。そんなの知らなかった。聞いたこと無かった。

 

私が消えれば全部終わるんじゃないか?と思った。結局そうだ。気持ち悪いなめんどくさいなうざいな、そうやって切って捨てられるなら何も言えない。人間関係は全部手放そう。昔きみが望んだように他人との関わりを絶ってみよう、ああでも今更そんなことしても、私自身には価値がないんだっけ。じゃあ全部自分ののせいにして彼女が罪悪感なく私を捨てられるように、とことん嫌われなくちゃいけない。それすら別に、とかで潰される。疲れた。消えたい。消えなくちゃいけないことにして、義務によって死にたい。

 

疲れた。

目の前が真っ暗で、簡単に涙が出る自分が嫌いで、罰を、罰をあたえないといけなくて、でもこういう姿勢もめんどくさくて気持ち悪い。一挙手一投足がダメな気がして、なにもかも辞めたい。

 

このまま親族の新年会に出たくない。我儘はやめたい。ぐるぐる考えて止まらない。

執行猶予

17歳の冬までに死ぬと決めた。

 

 

9月23日の夜、なんだかなんにも考えられなくなって、今までの飲み忘れの薬や昔処方されて飲んでいない薬を数えもせずにたくさん飲んだ。

いつもの軽いトリップで終わるはずだったが、ちょっと飲みすぎた。次の日の朝倒れて、記憶が1日飛んで気付いたらその次の日の朝だった。

 

その間は異様だったらしい。顔つきもおかしくてちゃんと歩けてなくて気を失い失禁したらしく、でも自分はなんにも覚えていなくて、身体中痛くて、自分のコントロール外で死ぬ事の恐怖をちょっと頭に刻んでおいた。

 

多分その時死んでしまったら、最後に会話したのは大好きな人だったと思う。TwitterのDMで、私は薬を飲んだ直後連絡先を消しておいてくれと言っていた。迷惑がかかるのを恐れていた。死ぬことが一番の迷惑なのにあほらしいと思った。

記憶が無い日の翌日は、初めてそこまで陥った不安からの助けを求める話に5時間近く付き合ってくれた。何度も私のことを気持ち悪くないよ、死んで欲しくないよ、って言ってくれてて、正直嬉しかった。なんだかな。自分的にはそういう反応をもらえたから記憶が飛んだのはアリかなって少し思ってしまったが、私を発見して介抱した母は相当ショックだったみたいで怖い顔をしていた。もう自分でコントロール出来ないほどのODはやめようと思う。

 

自分が許せないことの半分くらいを、彼女との関係のことが占めている。だからしばらく彼女と話してもらって、気持ちを整理していった。自分を卑下する言葉が増えていって、そうするとやさしい言葉をたくさん貰えて、どんどん好きになってしまう。死にたくなる。自分が小学生の頃発見したいい子悪い子論にわりと人生を縛られている。

彼女とはもう2年以上の付き合いになり、来年彼女が私と出会ったころの歳に自分がなることに気づいた。その頃の彼女に比べたら私は酷く幼くて、前々から考えてはいたものの、彼女に告白されたあの日、彼女と同じ年齢、になる前に死のうと決めた。

 

進路のことも考えたりするが、もうすぐ死ぬと決めているから無意味に思える。将来の副作用も考えずに咳止め薬を飲み続ける。今を誤魔化すのに精一杯で、なんだか自分が怠けているように思えて、死にたい。なにもかも自分のせいだ。

ふざけた日々

一昨日、スマホが文鎮化した。わたしもこうなるって思った。

 

学校の帰り、駅で突然タップが効かなくなって、ブラックアウトして動かなくなった。3時間ぐらい放置したら動き出したが、だましだましって感じだ。元々調子は悪かった。時間がはちゃめちゃにズレてたりとか、挙動がおかしかったりとか。

 

私も傍からみたらこんな感じなのかもしれない。普段は平気そうで、常に苛つく不具合が出てて、突然死ぬ。なんともなかったみたいに動き出す。死ぬところをあんまり人に見せなくなった。

 

久しぶりにロープを引っ張り出して非常階段で首を吊った。ロープが緩んで階段を転げ落ちて、痛いな、と思って、昨日家で一人になってからそれを思い出して泣いた。なんの涙かわからなかった。痛覚がある自分に絶望しているのかもしれない。痛覚さえなけりゃ私は中学で死ねた。

 

ともかくすきだったひとからはもっと距離を置かねばならない。ちょっと迷惑どころじゃなくなってきた。この醜い気持ちは、抑えておかなければ、必ず私に会えてよかったなんて一生聞けなくなる。

 

気紛れに、また前みたいにやさしいそのひとがもし、気を使って私を思い出してくれて、なにか言葉を並べるとして、到底受け取れる価値が、許される価値が私にあるとでも?その前に死んでしまうべきだ。死に時を逃した私は、明日にでも死ぬべきなのだが、なんだか未練があって、自殺行為はなんだか気が抜けていて、本当の死には至らないし、みんなウンザリしているにきまっている。

 

だけどなんだかんだ私はきっと次の朝には学校に行くし、三連勤は働くし、なにげないあのひとのつぶやきで生存確認して安心するし、端末は買い換える。私の精神も買い換えられれば、もっといいものに入れ換えた方がって、周りに死ぬほど思われてるのに。いや精神以外もだよ。全部、私が私である必要なんてとっくに失敗作にはないのだ。わかっていたけど、何故か生きている。悪夢を見て重い体を引き摺って生きている。なんて、なんてふざけた身体なんだ。

 

頼むよ。はやく消えてくれよ。