倒れ付すとも。

ブログを使って声や思いを整理したいと思っています。

執行猶予

17歳の冬までに死ぬと決めた。

 

 

9月23日の夜、なんだかなんにも考えられなくなって、今までの飲み忘れの薬や昔処方されて飲んでいない薬を数えもせずにたくさん飲んだ。

いつもの軽いトリップで終わるはずだったが、ちょっと飲みすぎた。次の日の朝倒れて、記憶が1日飛んで気付いたらその次の日の朝だった。

 

その間は異様だったらしい。顔つきもおかしくてちゃんと歩けてなくて気を失い失禁したらしく、でも自分はなんにも覚えていなくて、身体中痛くて、自分のコントロール外で死ぬ事の恐怖をちょっと頭に刻んでおいた。

 

多分その時死んでしまったら、最後に会話したのは大好きな人だったと思う。TwitterのDMで、私は薬を飲んだ直後連絡先を消しておいてくれと言っていた。迷惑がかかるのを恐れていた。死ぬことが一番の迷惑なのにあほらしいと思った。

記憶が無い日の翌日は、初めてそこまで陥った不安からの助けを求める話に5時間近く付き合ってくれた。何度も私のことを気持ち悪くないよ、死んで欲しくないよ、って言ってくれてて、正直嬉しかった。なんだかな。自分的にはそういう反応をもらえたから記憶が飛んだのはアリかなって少し思ってしまったが、私を発見して介抱した母は相当ショックだったみたいで怖い顔をしていた。もう自分でコントロール出来ないほどのODはやめようと思う。

 

自分が許せないことの半分くらいを、彼女との関係のことが占めている。だからしばらく彼女と話してもらって、気持ちを整理していった。自分を卑下する言葉が増えていって、そうするとやさしい言葉をたくさん貰えて、どんどん好きになってしまう。死にたくなる。自分が小学生の頃発見したいい子悪い子論にわりと人生を縛られている。

彼女とはもう2年以上の付き合いになり、来年彼女が私と出会ったころの歳に自分がなることに気づいた。その頃の彼女に比べたら私は酷く幼くて、前々から考えてはいたものの、彼女に告白されたあの日、彼女と同じ年齢、になる前に死のうと決めた。

 

進路のことも考えたりするが、もうすぐ死ぬと決めているから無意味に思える。将来の副作用も考えずに咳止め薬を飲み続ける。今を誤魔化すのに精一杯で、なんだか自分が怠けているように思えて、死にたい。なにもかも自分のせいだ。

ふざけた日々

一昨日、スマホが文鎮化した。わたしもこうなるって思った。

 

学校の帰り、駅で突然タップが効かなくなって、ブラックアウトして動かなくなった。3時間ぐらい放置したら動き出したが、だましだましって感じだ。元々調子は悪かった。時間がはちゃめちゃにズレてたりとか、挙動がおかしかったりとか。

 

私も傍からみたらこんな感じなのかもしれない。普段は平気そうで、常に苛つく不具合が出てて、突然死ぬ。なんともなかったみたいに動き出す。死ぬところをあんまり人に見せなくなった。

 

久しぶりにロープを引っ張り出して非常階段で首を吊った。ロープが緩んで階段を転げ落ちて、痛いな、と思って、昨日家で一人になってからそれを思い出して泣いた。なんの涙かわからなかった。痛覚がある自分に絶望しているのかもしれない。痛覚さえなけりゃ私は中学で死ねた。

 

ともかくすきだったひとからはもっと距離を置かねばならない。ちょっと迷惑どころじゃなくなってきた。この醜い気持ちは、抑えておかなければ、必ず私に会えてよかったなんて一生聞けなくなる。

 

気紛れに、また前みたいにやさしいそのひとがもし、気を使って私を思い出してくれて、なにか言葉を並べるとして、到底受け取れる価値が、許される価値が私にあるとでも?その前に死んでしまうべきだ。死に時を逃した私は、明日にでも死ぬべきなのだが、なんだか未練があって、自殺行為はなんだか気が抜けていて、本当の死には至らないし、みんなウンザリしているにきまっている。

 

だけどなんだかんだ私はきっと次の朝には学校に行くし、三連勤は働くし、なにげないあのひとのつぶやきで生存確認して安心するし、端末は買い換える。私の精神も買い換えられれば、もっといいものに入れ換えた方がって、周りに死ぬほど思われてるのに。いや精神以外もだよ。全部、私が私である必要なんてとっくに失敗作にはないのだ。わかっていたけど、何故か生きている。悪夢を見て重い体を引き摺って生きている。なんて、なんてふざけた身体なんだ。

 

頼むよ。はやく消えてくれよ。

山越え谷越え

部活の全国大会が終わった。結果はまあ、なかなか良かった。私はなにも貢献出来なくて、チームメイトの先輩方が頑張って下さった結果だ。母はラッキーだって言った。私は先輩の頑張りになにも応えられず評価だけ受けた事が惨めで、情けなくて、申し訳なくて大会の当日も泣いたしその後の夜も泣いた。

泣くくらいなら初めからきちんとやれよ。わかってて、別にどうでもいいって思って戦った訳じゃなくて、私なりの全力で挑んだつもりで、でも相手は優勝した実力者で少しも歯が立たなかった。

周りが1ミリも私を罵倒しないのが逆に辛かった。気を使われていた。優しくされて、お前も頑張ったよとか、なかなか良かったよとか、お前も勝利に貢献してたよとかいっぱい言葉をもらった。自分の頭の中ではあの場に倫理と道徳、周りの目さえなければボコボコにされて殺されて当然な気さえした。苦しくて、それでも貰ってしまったメダルと盾に吐き気がする。

 

その直後からあんまり気力が湧かなくなって体調が悪くなり、昨日の夏休みの講座はズル休みをした。過眠気味だった。

 

それなりに大会に向き合っていたかったので、暫く薬はやめていた。1週間我慢して、発狂しかけて34飲んで、1週間半我慢した。一気に辞められないのが甘えである。手が震えるし苦しかった。瓶を手に取って安心した。しかし最近は副作用が目立ち全身が痒くなるので、常にどこか出血している。

 

死にたいな、と思う。乖離も心臓の痛みも割と酷くなってくる。病院ではにこにこしてもう大丈夫って顔をする。だって隣に母がいるから。病院の先生が次の診察で変わってしまうので、心配を残させたくなくて先生にもにこにこする。回復傾向、と言われて薬を減らされて、不安定になって苦しい日々が始まってもブロンで、自分で自分の金で乗り切る。

 

いい子でいたい。医療費をこれ以上こんな私なんかのために払わせるわけにいかないので、高校生の間に完全に処方薬を全部なくさないといけない。いかに回復を演じていくかだ。自分に良くないのは分かってるけど、自分のことを気遣って誰が得をする?病気してる金がかかる私と健全な苦しいけど完全に自分で処理するので金がかからない私なら健全な私が好まれるのだから、健全な私を取り繕っていかないといけない。

心の浮き沈み、山谷越えて、生きていかないといけない。治療を長引かせて正直に回復に向けて生きるより、さっさと治療は終わらせて実質消極的安楽死をとる方が色々といいかもしれない。1番いいのは死んで、全ての負担がなくなることだが。周りにこれ以上負担を強いるのはよくない。死なねばならない。

 

時には嘘を語ってでも、とにかく周りに迷惑をかけないように。周りの理想に近付くように。期待に応えられないなら死ぬように。誰かに認め愛されるのならば、自分にその資格があるのか確かめてから断る。自分に相応なものだけを受け取る。気をつけているようで、気をつけていない事項だ。もっと気を引き締めろ。

自作自演

また今月の限界が来た。

月一、くらいのペースで限界が来て、彼女に頼ろうとする悪癖がなかなか治らない。

 

恋か執着か、彼女のことを考えない日はないし彼女と直接会って抱きしめてもらうことを想像するのだってしょっちゅうやっている。正直ちょっと相手からしたら気持ち悪いくらいに。依存だ。彼女のことを恋愛的感情として好き、とおもってるのか依存先なのかずっと欲しかったやさしい姉を求めているのかいじめてるのか分からない。

 

太ももも随分傷だらけになったものだ。しかし1番新しいのは両膝の擦り傷である。

 

先週、事故にあった。

 

バスから降りようと足を踏み出して、気付いたら地面にいた。バスと歩道のあいだをすり抜けようとした自転車に轢かれた。両膝は擦りむいて派手に血が出て、スマホは左下が砕け散った。タイヤはふくらはぎに乗り上げていて、そこからも血がどくどく出ていた。自転車に乗っていたのは同じ女子高生だった。相手が謝る前に、急いでいたのに足を止めてしまった申し訳なさで先に謝ってしまった。相手は急いで謝り返してきて、そのまま走り去ってしまった。

バスの運転手さんはとても優しく、バスを止めて大丈夫か確認してくれた。それが申し訳なくて、周りを衝突の音でわたしなんかのために心配させたり驚かせたりした罪悪感でいっぱいで、一生懸命謝ったあと私も歩き去った。血はだらだらこぼれて、情けない気持ちだった。私がバスを降りる時しっかり確認しなかったせいだ。私のせいだ。きっとまた周りに責められるし、この傷が痛くてもみんな大袈裟だと怒るのだろう。

 

そしてふと思った。あの時死んじゃえば良かった。倒れたのはどうして歩道側だったのだろう。車道側に放り出されてさらに轢かれて死ぬ、ぐらいしても良かったのではないか?と。

結局怪我は擦りむいたのと打撲だけで、今は立膝が辛いのと見た目が赤黒い程度でなんともない。変な運は強いのだ。 でも本当は、死にたかったと思う。

 

取り敢えず自分が悪いことにすれば丸く収まる、という場を体験しすぎたせいでもあるし考え方のくせでもあるのだが、この事故も全部私が悪かった、という体で周りに説明した。

 

誰も、私の想像したように私を責めなかった。

 

まず母はその時に警察に連絡しろ、と言ったし過失はほぼ0:10だ、と言ってくれた。無論周りを注意しなかったことも悪いとは言ってくれたが、私を責めはしなかった。むしろ直ぐに警察を呼ばなかったこと、親に連絡しなかったことを叱られた。

父はふーん、と言って私を責めることもそれ以上言及することもなかった。

職場の人は私は悪くないと言ってくれたし、慰謝料を請求すべきとまで言ってくれた。

Twitterでお世話になっているお姉さんのような存在の大人も、沢山心配してくれたし病院行きなさいって言ってくれた。

大会前なのに怪我して怒られるかと思ったが、学校の先生も私を責めなかった。

痛いといっても誰も怒らない。

 

正直もやっとした。長らく0:10という事態に遭遇しなかったのもあるが、どうして私を責めないのか、とわからなくなった。

じゃあ私が想像した“みんな”って、誰だ。

私はいつもそんなふうに疑った目で優しい人たちをみていたのか?

今までの理不尽に叱られた経験や向けられていた眼差しも、今回みたいに本当はなくて、全部自分の妄想だったんじゃないか?

 

じゃあ私が苦しかったのも辛かったのも、全部自作自演だったのか?

 

じゃあなおさら、あの時に死ぬべきだったんだ。

 

 

 

自分が許せなくなった。

 

ブロンを50錠飲んでやっとそれは収まって、脳みそを吹っ飛ばさないとやってられなくなった。今もその考えに頭が傾くとどうしようもなくて、今日も44錠飲んだ。身体中が痛むが、発狂しそうな希死念慮よりマシだ。この厄介な考え方をどう殺したらいいかわからない。もうどう生きたらいいかわからない。限界が来るのも間隔が短くなってきて、彼女に迷惑をかけそうになって、実際かけて、ゴミクズみたいな人間のなりそこないになってしまった。

 

これからどうやって生きよう。病気の原因も、今苦しんでる?原因も、全部私の思い込みで妄想で私のせいで自作自演だった。こんなやつに生きてる価値なんてない。ましてや愛される資格なんてこれっぽっちもないし人を好きになってはいけないし人と関わる資格もない。死ねよ。死んでしまえよ。周りがそう嘲笑しているように思えて薬を飲まなきゃやってられない。わからない。なにもわからない。今から彼女、家族、先生、まわりの理想の私を聞き出してそれに完璧に沿った人間に再構築するとかしないとたぶん生きてちゃいけない。このままじゃダメだ。だめだ。

やめられないし、わからない

薬は辞められそうにない。とりあえず得体の知れない不安で迷子になりそうな時、眠りたくない眠るのが怖い時逃げ癖がついた。一週間半耐えてみたけどダメだった。薬のことしか考えられなくなる瞬間が1番死にたくて、飲んだらとりあえず衝動的な死にたさは収まる。罪悪感を伴う慢性的な死にたさはなくなる訳では無いが、半分なくなってちょっと身体が軽くなる。

 

髪をさらに短く切った。数年前の自分が見たら、今の自分はゾッとするほど変わったと思う。とにかく変わりたくて、物静かで真面目なステレオタイプの優等生気取ってた自分を殺したくて、16歳を迎えたのをきっかけにフルメイクを覚えてピアスを開けて長髪を思いっきり切って染めた。何もかも捨ててやろうと思った。

でも本質は変わらないみたいだ。周りに褒められると嬉しくなったり得意げになったりしてしまう。なにもかも中途半端だ。

 

行き場のない創作意欲は形にならず霧散して、息が詰まるような感覚がずっとある。学校で任せられた仕事をこなしていく方が容易い。自分で作り出すものがあんまりにもお粗末で困る。パソコンの前に1時間座っても何も生み出せないのは、ちょっとおかしいんじゃないか、ダメなんじゃないかと思う。

 

行きたいかも、と思った大学がある。……私立だが。行きたい分野も、結構趣味の延長線。趣味を本格的に学びたかったら多分ここだな、と思う。でも高等教育を受ける価値が自分にあるとはあんまり思えなくて、やりたいことをやりたいって言うことに罪悪感を感じる。お金借りて、親説得して、までする価値があるか?そんなことを許されるとでも思うのか?就職したくないから楽な方へ楽な方へ逃げようとしてるだけじゃないのか?貧乏人の能無しが夢見んなよって、どっかからぶつぶつ聞こえてくる。怖くなる。決断を後回しにしたくて、後回しにしまくって死のうかなと思う。

 

私の死にどきはきっと中学生で、逃したからこんなに苦しいんだと思う。なんで死んどかなかったんだろう。

手がガクガク震えてきた。

 

 

誰かを気遣いたい、誰かの支えになりたい、誰かの生きがいになりたい。自分がそうしてもらったように、今度はその人に自分がそうしたい。エゴだ。いい子ぶりたいだけ。分からなくなる。自分の自己中さに腹が立つ。上手に人の苦しみを受け止めたい。感情のゴミ箱になりたいと思う。ゴミ箱ごとポイッと捨ててみんなしあわせになったら素晴らしいんじゃないか?そもそも私は捨てられる側の人間である。拾われてはいけない。目に止めて貰えるだけ奇跡だ。要不要を判断してもらえるだけで至高の幸せのはず。それを思いしれないらしい私を殺してやりたい。

 

もっと、と思う欲を消したい。もっと安心したい、とかもっと愛されたい、とかもっと話して欲しい、とか。やっぱり中学生で死ぬべきだった。生きててよかったと思えない。死んでたらよかった。そしたら全部丸く納まったのに。我儘と頼るの違いがわからない。そんな綱渡りしたくない。わがままを言いすぎて、愛想つかされるのが怖い。たぶん自分が人間であることが怖いのかもしれない。石ころに産まれてきたらどれだけの人を苦しめずに済むのだろう。

 

自分の決定的に欠けた何かを探している気がする。何もかもがかけているのに。穴だらけのチーズに穴を探している。もしかしたら埋めてくれる人がいるかなって期待する。自分で開けた穴のくせに何を言っているんだ。

 

生きててって言われる。本心かはわからない。でも何となく生きてる。死ぬより楽だから、死ぬまでがめんどくさい。頭が痛い。薬が切れてきた。つかれた。やめる。